隊名 |
人数 |
隊長 |
編成・備考 |
年少隊
(幼少隊) |
100 |
安部井登 |
14歳〜15歳。
士中、寄合一中隊で編成。会津城下の戦いで多くが討死する。 |
奇勝隊 |
250 |
上田新八郎
(坂内八三郎) |
藩の軍制改革の際、新規徴募された民兵部隊で、僧侶を中心とした隊。
猪苗代方面・長命寺の戦いに参加。23日の戦いで隊長上田新八郎が戦死。
その後は、小頭の坂内八三郎が80名を率いて奮戦、開城迄に半数以上が戦死。 |
敢死隊 |
250 |
小原信之助
川崎尚之助 |
民兵隊(地方下人や百姓)。土屋鉄之助の進言により結成。
西郷頼母の指揮下で冬坂・赤井方面へ出撃、土佐の迅衝隊と戦い隊長小原が戦死し壊滅。この戦い以降は、川崎が指揮を執り、8/25の小田山の戦いで全滅。 |
中軍護衛隊 |
50 |
西郷寧太郎 |
13歳〜15歳の少年有志で結成され、城内守備を行ない落城まで奮戦 |
婦子隊 |
20 |
中野竹子 |
有志の女性によって結成された一隊で薙刀で涙橋辺りで奮戦。
正式に隊として結成されたものではなく、後年「婦子隊」と呼ばれた。 |
新練隊 |
380 |
土屋鉄之助 |
地方下人の子弟。三斗小屋・中峠で日光口の西軍と戦い、西軍の会津城下突入にさいしては城外で激戦展開。 |
会津遊撃隊 |
180 |
遠山伊右衛門 |
副総督横山主税麾下。追分峠・鶏峠に出戦し以後、赤谷口で西軍と交戦。仙台で降伏。隊中、諏訪常吉ら70人は箱館戦争へ参加。 |
会義隊 |
70 |
野田進 |
徴募編成。白河の戦いに参加、8/25の天寧寺での戦闘に参加。
内藤等の入城に貢献し、その功績により隊士は上士に取り立てられた。 |
義集隊 |
80 |
辰野源左衛門
(金田百太郎) |
辰野率いる本隊50名はは白河戰に参加。
金田率いる分遺隊は5/3片貝方面の戦闘に参加し、銚子で降伏壊滅。水戸の結城党と共に行動。士分三、夫卒八。 |
奇正隊 |
200 |
陣将:原田対馬
杉浦大右衛門 |
一番隊〜八番隊で編成。地方郷士隊。神保原から鶴ヶ城攻防戦で奮戦。 |
敬身隊 |
35 |
二瓶左内 |
神青龍隊の分隊名称。7人が仙台にて降伏。 |
義勇隊 |
80 |
秋月新十郎 |
慶応4年9月1日大内峠で布陣し、芸州・宇都宮藩士と交戦。 |
結義隊 |
130 |
渡部英次郎 |
越後口・片貝・加茂・谷沢・若松南部の大三次戦闘に参加。
隊長の渡辺は柳土手で戦死。 |
修験隊 |
80 |
町野源之助 |
領内の山伏によって組織された民兵隊。朱雀四番隊に付属。 |
純義隊 |
100 |
小池周吾 |
白河・只見・会津城下で奮戦。のち銚子において降伏。 |
順風隊 |
150 |
船橋捨蔵 |
西軍の進攻にそなえ急ぎ藩の有志で組織された部隊。長命寺の戦いで幹部のほとんどが戦死。 |
正奇隊 |
80 |
相馬直登 |
百姓による農兵隊。大内峠にて交戦。 |
書生隊 |
80 |
相馬孫市 |
京都日新館の書生たちによって編成され、鳥羽伏見の戦いで奮戦する。 |
信意隊 |
80 |
武川兵部 |
彰義隊の支援部隊で会津藩有志で組織。上野戦争に破れた後、会津へ走り、国境及び城下の戦いで奮戦。一部隊士は蝦夷地を目指す。 |
新隊 |
200 |
坂平三郎 |
一番隊〜八番隊で編成。徴募編成と思われる。
遊撃兵として活躍した。殊に会津城の攻防戦で活躍した。 |
進撃(遊軍)隊 |
150 |
小室金吾左衛門
武井柯亭 |
正規軍の補完部隊。
会津田島に布陣。城下の戦いでは佐川官兵衛の支隊として奮戦した。 |
新撃隊 |
70 |
天野由次郎 |
会津民兵隊。9/4の阿賀野川北側山地、長窪大谷間で交戦し敗走。 |
神青龍隊 |
140 |
五十嵐喜平太 |
会津戦争末期に組織された民兵隊。
ゲリラ隊として活動。仙台藩の降伏と共に一部投降して四散する。 |
新遊撃隊 |
100 |
佐藤織之進 |
会津藩の傭兵か?正規兵ではなく訓練も未熟。
与板・只見で交戦、水戸城攻撃の後、銚子で降伏。 |
誠志隊 |
180 |
坂平三郎 |
東部藩境でゲリラ活動に終始。戦意なく逃亡者が相次いだ。9/15仙台降伏に便乗し投降。 |
狙撃隊 |
25 |
竹村幸之進 |
山川大蔵に属した部隊で、籠城の際は本丸を固め、最後の攻防戦は城外にて奮戦。 |
築城隊 |
200 |
安部井寿太郎 |
陣地構築の為の土工兵と思われる。 |
鎮将隊 |
200 |
萱野右兵衛 |
水戸の結城党と組み、5/3の片貝戰以降、各地を転戦。隊士の3割が戦死。 |
力士隊 |
150 |
田中源之進 |
藩内の力士にて編成。
朱雀足軽四番隊、砲兵二番隊と保成峠・天狗角力取山に出撃、その後赤谷へ50名を派遣。8/14の戦闘で組頭赤埴平八が戦死。 |
猟師隊 |
120 |
松田英之助 |
宇都宮戦の後今市で組織された和銃部隊。山岳戦を得意とし、閏4/19の食いr腹板倉付近の戦闘に参加。5/6には今市の戦いに加わり、7/28には宝珠山を占領、赤谷口へも一隊を派遣するなど奮戦する。 |
別楯隊 |
120 |
関清之助 |
会津藩寄合組有志で組織。8月5日阿賀川で交戦。 |
別撰組 |
40 |
春日佐久良 |
佐川官兵衛が藩士の中から刀槍の使い手を選抜し、斬り込み隊として結成。
鳥羽伏見以降に再編成され城下の戦いで奮戦する。 |
別伝習隊 |
70 |
工藤衛守 |
藩士と農兵で別伝習を受けた部隊(70名中50名が農兵)で大鳥の後軍に属し、9/3〜4の関山第二次戦闘に参加。 |
報国隊 |
60 |
不明 |
義勇隊と共に行動。大内峠の戦いに参加。 |
歩兵隊 |
80 |
辰野源左衛門 |
融通寺口の戦いで奮戦。 |
勇義隊 |
50 |
佐瀬義之助 |
内藤介右衛門下の八隊のうちの一隊。白河口勢至堂を守備。 |
赤心隊 |
40 |
仁科勇八? |
敬身隊と同じく神青竜隊文隊か?ゲリラ部隊として藩境で戦い、仙台藩の降伏とともに3名が投降する。 |
砲兵隊 |
110 |
日向内記 |
鳥羽伏見で林隊・白井隊の残兵を統合したもの。当初は山川大蔵が隊長だったが、山川の若年寄就任後日向内記に交代。 |