▼秋月 悌次郎(あきづき ていじろう)▼
西国藩士によく知られる活躍をした貞次郎は、萱野権兵衛の従として小伝馬町の獄に移され、他の藩士よりずっと遅れた明治5年に赦免された。 その後、左院小議生となり、五等議官に進み太政官七等出仕となったが、いくばくも無く会津に帰り母を養う。 母が亡くなった後、東京大学・高等学校等に出仕し、のち熊本五等高等学校の教授となった。 同じく熊本五等高等学校に在籍した小泉八雲と親交を持ち、「神様のような人」と言わせた。
享年77歳。墓は東京の青山霊園にあり。
:参考文献: 『幕末維新人名事典』新人物往来社 『写真でみる会津戦争』新人物往来社 『会津人物事典(武人編)』歴史春秋社