秋山 左衛門(あきやま さえもん)▼

 

・・・出生
(文化9年(1812)〜慶応4年(1868)9月22日)戊辰時57歳。
性学を好む、若くして藩命によって江戸の昌平校に入り、数年学問に勤しみ、『春秋左氏伝』(孔子の編纂と伝えられる『春秋』の代表的な注釈書の一つ)に精し、経史に通じる。
学業なって帰国し、藩校北学館の教授となり、藩士子弟に学問を授け、後に医学師範となる。人となりは厳毅方正。
・・・京都守護職時代〜戊辰戦争
 戊辰戦争では、城に入り籠城戦で奮戦するが、降伏の噂が流れると、『城下の盟は春秋では恥とする、どうして今日降伏を議論するのか』といって信じず、更に降伏に決したという噂が流れると、左衛門は尚も信じなかったが、降伏の命が告げられると、左衛門は憤慨し、夜半に木の下で銃を胸に当てて自害した。享年57歳。

::参考文献::
『若松市史 下巻』 会津若松市