▼浅羽 忠之助(あさば ちゅうのすけ)▼
鳥羽伏見の戦いで破れた兵達が江戸に戻ってくると、忠之助は閉門を仰せ付けられる。 戊辰の役には軍事奉行添役として従軍し、また奥羽列藩同盟の時は藩命によって奥羽諸藩に使者となって活躍した。
戊辰戦争後、謹慎後は容保と行動を共にし、宮司となった容保に従って日光東照宮に出仕した。 明治30年11月病死、享年67歳。
【会津戊辰戦史】 我が公近侍浅羽忠之助、加藤内記を戦地に遣わし陣将田中土佐以下の将士を慰労す。
::参考書籍:: 『幕末維新人名事典』新人物往来社 『会津人物事典(武人編)』歴史春秋社 『会津戊辰戦史』 『浅羽忠之助之筆記』(会津戊辰戦争史料集掲載)