井口 慎次郎(いぐち しんじろう)▼

 

・・・出生
(1854〜1877年2月7日)150石。戊辰時15歳。井口隼人の次男として若松城下に生まれ、性淳良で勇敢、日新館の秀才。
井口隼人の妻、井口慎次郎の母は浅羽忠之助の姉「みさ」である。
・・・京都守護職時代〜戊辰戦争
 戊辰戦争では白虎隊幼少組に編入され、力戦奮闘したという。
 兄信太郎(18)は8月29日の長命寺の戦いに朱雀士中二番田中隊として参加し戦死している。
・・・戊辰戦争後

 父、隼人は高田謹慎の際に病死。(母みさ、弟常四郎等を連れ斗南に移住し金田一村に永住した)

 誠実で快活な性格で永岡は弟のように面倒をみた。
 永岡の書生となり、永岡に私淑し、思案橋事件に参加する。
思案橋事件の際、誤って永岡を傷つけ、その傷が元で永岡が亡くなった為自責の念に苛まれるが、永岡よりの遺言で「軽挙を謹んで欲しい」と言われ思いとどまる。そして刑場では永岡の後を追える事、自責の念から開放される事から喜んで死を迎えたという。
 『待て暫し我も後より続かまし同じ黄泉路を辿る身なれば』は辞世の句である。
 事件首謀者として明治10年2月7日処刑される。享年24歳。

 墓は新宿区源慶寺。

 

←右端が井口慎次郎墓(新宿区・源慶寺)

::参考書籍::
「会津藩戦死殉難者人名録」
西南記伝」
「前原一誠年譜」マツノ書店
「幕末維新人名事典」新人物往来社