神保 内蔵助(じんぼ くらのすけ)▼

・・・出生

(1816年〜1868年)慶応4年当時52歳。
会津藩家老。父内蔵助経周の長男。家禄は千二百石。名は利孝。

・・・京都守護職以前
1858年若年寄、1863年家老となる。
・・・京都守護職時代〜戊辰戦争
 1862年容保が京都守護職を拝命すると御家老組陣将として上洛
 禁門の変には藩兵を率いて出陣し、山崎天王山に退陣した
真木和泉等を追撃して真木等17名を自刃させいている
 鳥羽伏見の敗戦の後、長男修理が将軍・容保等の東帰の責任をとって自刃している。

 会津戦争時には六日町口を守って苦戦、この口が敗れた後、同じく家老
田中土佐と共に土屋一庵の屋敷にて自刃。 享年52歳。

 墓は会津若松市建福寺にあり。

 七年史を発行した北原雅長は神保内蔵助の次男。

 

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::参考文献::
『幕末維新人名事典』 新人物往来社