▼萱野 権兵衛(かやの ごんべえ)▼
(1830年〜1869年)慶応4年当時38歳。 会津藩家老。家禄千五百石。萱野権兵衛長裕の長男。 若くして文芸・武芸を修めて人望があり、性格はきわめて温和であった。
降伏後は、新政府より3名の首謀者を出すように言われ、家老の席次により、責任を一身に負って切腹した。 切腹を前に、一刀流溝口派の絶えるのを憂慮し、火箸で、その奥義を井深宅右衛門に伝授したという話は有名。 墓は東京白金の興禅寺と会津若松市天寧寺にあり。 享年39歳。
小倉藩に遊学中自刃した郡長正は権兵衛の次男。
::参考文献:: 『幕末維新人名事典』 新人物往来社