▼萱野 右兵衛(かやの うへえ)▼
(1840年〜1872年)慶応4年当時28歳。 家禄五百石。
敗戦後高田に謹慎1720人の旧藩士を藩老格として統括し、また、斗南への移住の責任者として尽力するが、のち越後戦争を共に闘った陶工達からの招きで本郷に移住し、陶土を砕く萱野水車を造り業とした。
享年33歳にして病死。 隊士思いで民にも親身に接したことから水原の民や、部下から慕われ、現在本郷観音山山頂に「萱野隊長之碑」などが元部下達によって建立されている
::参考文献:: 『幕末維新人名事典』 新人物往来社