大野 英馬(おおの ひでま)▼

 

・・・出生
(文政9年(1826)〜慶応4年(1868)8月23日)戊辰時43歳。
 30石4人扶持にして猪苗代十騎中の大野傳九郎の子として生まれ、傳九郎は後江戸常詰となり英馬も江戸に暮す。人となりは活発にして才気あり、父が没すると会津に帰り、30歳の頃御供番となる。

 英馬幼少時、江戸にあって暇があれば海濱に行って遊び、故を以て舟舵水泳を会得し、会津に帰った後御供番の同僚と中田観音に参詣し、路大川を過り所謂馬舟に乗り中流にいたる、英馬はふざけて舟を左右に揺らし、舟は傾斜して水を掬わんとして、同僚は恐怖して汗を握るも英馬は大いに笑って舟を揺らすことを止めなかった。

 また、妹には江戸御殿奥勤であった瀬山がいる

・・・京都守護職時代〜戊辰戦争
 文久元年、容保が京都守護職を仰せ付けられると英馬は公用人となり、後に国産奉行副役となる。
戊辰戦争が起こり、新政府軍が城下に侵入した慶応4年8月23日、英馬は滝沢口で奮戦の後、東名子屋街人参役場付近にて弾丸に当り戦死する。享年43歳。 阿弥陀寺に合祀されている。

::参考文献::
『若松市史 下巻』 会津若松市
『幕末維新人名事典』 新人物往来社