▼西郷 頼母(さいごう たのも)▼
(1830年〜1903年)慶応4年当時38歳。 西郷近思の長男。家禄千七百石。 幼名は竜太郎。幼少から学問を好んだ。
降伏後、長男吉十郎を箱館の沢辺琢磨に預けるが、明治12年病死。 頼母は唯一の肉親を失った後、志田貞次郎の三男四郎を養子に貰う。(のちの「姿三四郎」のモデルとなった人物)謹慎解けた後、伊豆にて里人の指導にあたる。 この頃、西郷の姓を本姓の保科に戻している。 容保が日光東照宮の宮司になると、頼母も日光の称宜となり、容保を補佐した。 のち若松に帰り霊山神社の宮司となりその傍ら教職につき生徒の教育にあった。
享年73歳。墓は会津若松市の善龍寺。
:参考書籍: 『会津人物事典』歴史春秋社 『写真でみる会津戦争』新人物往来社 『幕末維新人名事典』新人物往来社