田中 土佐(たなか とさ)▼

 

・・・出生

(1820年〜1868年)慶応4年当時48歳。
田中玄良の長男として生まれ土佐を襲名した。家禄は千八百石。名は玄清。

・・・京都守護職以前
1862年、容保に京都守護職の命が下った時に、同じく家老の西郷頼母と共に江戸に上り、辞退するように諌めるが、
容保の意思が固いことをしると、先発して京に入り上洛の準備と円滑に京都守護職の役目を務められるよう尽力する。
・・・京都守護職時代〜戊辰戦争
慶応元年、病の為会津に帰国し、職を辞したが、翌年特命を受け復職し上京。
鳥羽伏見の戦いでは
陣将として出陣するが敗れ、隠居して大海と号した。
その後戊辰戦争で、西軍が城下に侵入した慶応4年8月23日に同じく家老の
神保内蔵助と共に土屋一庵の屋敷にて自刃

 享年48歳。墓は天寧寺にある。
・・・史料で見る

:参考書籍:
『幕末維新人名事典』 新人物往来社
『竹村俊秀君の事蹟』 会津会会報10号