【会津戊辰戦争】
棚倉口原方街道の砲戦激烈となるや、間道の西軍俄然稲荷山に現出し鉄砲を発して來り攻む、
一柳等力戦して之に當り副総督横山主税亦來り兵を励まし戦ひしが、弾丸に中りて殪る。
【会津戊辰戦史】
副総督横山主税自ら采配を振って衆を励し、稲荷山に登るや忽ち弾丸に中りて斃る。
戦ひ猛烈にして遺骸を収むるに遑(いとま)あらず、従者板倉和泉纔(わずか)に首を馘して退く。
【明治日誌】
五月朔日、白川方面味方大敗、軍頭分始数百人討死す。実に遺憾なり。若年寄横山主税大将討死、
首は同家の中小姓成る者、屋敷に持帰り、厚く葬られたり。
(附録 宰相公、横山家へ御入有らせられ御焼香被遊、右奥へ御目見被仰付、且つ二歳の嫡子も御召あり、上にても涙を流し玉ひ、
御近習一同涙の袖を絞りしとそ。
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