■幕末会津藩家老・若年寄一覧■

 

幕末会津藩家老・若年寄一覧

幕末期の家老・若年寄の変遷(文久2年〜慶応4年)

年代 家老 若年寄
文久2年
(1862年)
壬戊
山崎小助実久(閏8月就任)
北原采女光美
簗瀬三左衛門真粹(6月隠居)
神保内蔵助利孝(閏8月就任)
横山主税常徳
西郷頼母近悳
萱野権兵衛長裕
高橋外記(依願御免)
諏訪大四郎頼徳(8月依願隠居)
神保内蔵助利孝(閏8月家老へ)
山崎小助実久(閏8月家老へ)
一瀬勘兵衛直久(閏8月就任)
田中土佐玄清
文久3年
(1863年)
癸亥
山崎小助実久
神保内蔵助利孝(10月免職)
田中土佐玄清(就任)
一瀬要人隆鎮(6月就任)
横山主税常徳
萱野権兵衛長裕(7月依願隠居)
西郷頼母近悳(10月御免御叱)
一瀬勘兵衛直久
一瀬要人隆鎮(6月家老へ)
田中土佐玄清
元治元年
(1864年)
甲子
神保内蔵助利孝(復職)
田中土佐玄清
北原采女光美(11月就任)
一瀬要人隆鎮
山崎小助実久(6月依願御免)
高橋外記(3月復職)
横山主税常徳(8月死去)
一瀬勘兵衛直久
井深茂右衛門重常(4月4日就任)
内藤介右衛門信節(4月就任)
西郷勇左衛門近潔(11月就任)
萱野権兵衛長修(11月就任)
慶応元年
(1865年)
乙丑
山崎小助実久(2月復職)
一瀬要人隆鎮
田中土佐玄清(11月辞職)
北原采女光美
高橋外記(11月免職)
萱野権兵衛長修(5月就任)
神保内蔵助利孝
内藤介右衛門信節(8月御免)
梶原悌彦(平馬)景武(閏5月就任)
西郷勇左衛門近潔
一瀬勘兵衛直久
井深茂右衛門重常
萱野権兵衛長修(5月家老へ)
上田学太輔兼教(2月就任)
慶応2年
(1866年)
丙寅
田中土佐玄清(9月復職)
神保内蔵助利孝
山崎小助実久(4月隠居)
北原采女光美(10月免職)
一瀬要人隆鎮(2月復職)
萱野権兵衛長修
梶原平馬景武(3月就任)
上田学太輔兼教
内藤介右衛門信節(9月就任)
一瀬勘兵衛直久
井深茂右衛門重常
西郷勇左衛門近潔
上田学太輔兼教
梶原平馬景武(3月家老へ)
内藤介右衛門信節(9月復職家老へ)
諏訪伊助頼信(8月就任)
一瀬伝五郎隆知
慶応3年
(1867年)
丁卯
田中土佐玄清
神保内蔵助利孝
萱野権兵衛長修
梶原平馬景武
上田学太輔兼教
内藤介右衛門信節
一瀬勘兵衛直久
井深茂右衛門重常
西郷勇左衛門近潔
諏訪伊助頼信
一瀬伝五郎隆知
慶応4年
(1868年)
戊辰
田中土佐玄清(9月23日自刃)
神保内蔵助利孝(9月23日自刃)
萱野権兵衛長修
梶原平馬景武
上田学太輔兼教
内藤介右衛門信節
諏訪伊助頼信(正月就任)
一瀬要人隆知(9月負傷のち死亡)
原田対馬種龍(8月就任)
山川大蔵重栄
佐川官兵衛直清
海老名郡治季昌
西郷頼母近悳(復職)
一瀬勘兵衛直久
井深茂右衛門重常
西郷勇左衛門近潔
諏訪伊助頼信(正月2日家老へ)
一瀬要人隆知
横山主税常守(5月1日戦死)
山川大蔵重栄(3月就任8月家老へ)
原田対馬種龍(3月就任8月家老へ)
海老名郡治季昌(7月就任8月家老)
佐川官兵衛直清
田中源之信玄直
上田八郎右衛門氏雅
萱野右兵衛長誠
倉沢右兵衛重為
手代木直右衛門勝任


*家老九家*

会津藩で文化6年に定めた、家老になる事の出来る家柄。

■北原妥女 ■内藤介右衛門 ■西郷頼母
■田中土佐 ■井深茂右衛門 ■三宅対馬
■小原美濃 ■簗瀬三左衛門 ■梶原平馬


::参考文献::
執政年表
「会津ちょっといい歴史」野口信一著/歴史春秋社