【会津戊辰戦史】 是より先き、大阪に於て我が藩士等慶喜公、我が公の東下を聞きて恟々たり、加ふるに西兵或は奈良に至り或は大阪に至る等の浮説を懸念し、直ちに馳せて君側に至るの議あらざりき、小性平番簗瀬克吉、小池周吾(※)曰く、「余等生平君側に侍す、今公只一人東下す、寸時も安んずること能はず、速に馳せて公に追及扈従すべし、縦令之を衆に告ぐるも余等と意見を異にするを恐ると、是に於て断然決心して竊に之を原直鉄に告げて発し、奈良を過ぎ、此の日江戸に至る。我が公之を聞き善く決断して速に馳せ下りしを賞す。 ※小池周吾⇒後の純義隊隊長となり、銚子で降伏した。
【七年史】 ※浜御殿=現在の浜離宮恩賜庭園のこと。 |
※文献に関しては、管理人が現代語に近い形にするために、多少の意訳を含めて、
句読点や「」をくわえ、片仮名表記を平仮名に変え、送り仮名を追加し、読みやすい現代語の文章に改めてみました。
文中の()内は主に読み方、【】内は言葉の意味となっています。意味の不明のものや現代語約が不明のものは、原文のまま紹介してあります。
追々不明や間違い等のものについては、判明次第追加していきたいと思います。
間違い等気が付かれた方は、ご指摘頂けると助かります。