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120年かかった願い
新潟県北魚沼郡小出町(現魚沼市)は、かつて会津藩の領地(飛び地)であり、幕末の頃は会津藩の陣屋が置かれていた。

駅から程近い「小出島」という場所に「会津藩陣屋跡」があり、そこには「輪形月歌碑」が建立されている。

戊辰戦争の際、会津藩は町野主水をこの小出島に郡奉行として派遣し、新政府軍を、応援の為派遣された井深隊と共にこの小出島で防ごうと奮戦するも、閏4月27日に敗走する。

この小出島の戦いで、遊撃井深隊の望月武四郎は負傷し、近くの農家に匿われたが、新政府軍の追及により、農家に迷惑をかけまいと自害して果てた。享年22歳。自害の際に辞世の句を読んだ。

 『筒音に鳴く音休めしほととぎす 会津に告げよ武夫の死を』 輪形月

輪形月とは、望月の姓が満月を表す事からのものである。
この歌を知った松代藩隊長の蟻川賢之助は以下の返歌を贈った。

〜小出島の戦ひにみまかりし敵ながらやさしきもののふの心根を弔ひて〜
 『ほととぎす魚野川辺の夏嵐 永久に伝へよ波騒の声』 蟻川賢之助

この望月の『会津に告げよ』という辞世の句が故郷会津に伝わったのは、それから120年後の事で、昭和63年6月に小出島戊辰120年祭の際、この辞世の句が刻まれた辞世碑が除幕され、そこに参列した会津の人々は、この句を見て涙したという。


参考「悲劇の会津人」「その名は町野主水」
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