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兄弟で戦った西南戦争
庄内藩士伴幸右衛門兼定の四男伴兼之は、明治8年12月同士榊原政治と共に選ばれて鹿児島に行き、西郷隆盛の私学校で兵学修行をする。明治10年西南戦争が起こると、強いて西郷隆盛に従軍を請い、田原坂等各地転戦。肥後植木で戦死した。

次兄、B成信は官軍に入り陸軍少尉として同じく西南戦争に出陣し、高瀬の銭湯で負傷、久留米の病院で治療を受けた後戦線に復帰したが植木で戦死。

兄弟で官軍、賊軍に分かれて戦ったのである。
兼之の墓は南洲墓地に、兄成信は官軍墓地に埋葬されている。
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