■第一大隊■
第一大隊< 編成> |
大隊長・・・松平甚三郎 軍監・・・田中久右衛門 参謀・・・長坂右近之介 参謀兼松山藩隊将・・・松森胤保 小隊長(半隊長) 1・小隊長・・・石川猪太夫(下士50名)/白井兵介 2・小隊長・・・黒谷市郎兵衛(下士50名)/本多丑弥太 3・小隊長・・・陶山臼兵衛(300石/下士50名)/犬塚久弥 4・小隊長・・・竹内大作(200石/下士50名)/柴田英之助 5・小隊長・・・服部小隼人(下士50名)/都丸嘉内 6・小隊長・・・石原藤助(下士50名)/野沢寿三郎 附従隊長・・・竹内楫右衛門(200石/卒30余名)/北楯金之助(卒30余名)/秋保三郎(200石/卒30余名)/北爪与一郎(120石/卒30余名) 大砲分隊長・・・上田千蔵(従士27名) 往来使・・・松井三十郎 諸隊往来使・・・金井州平、池田悌三郎、古川浅右衛門 旌旗使・・・田中弥太郎 楽隊長・・・平野丈太郎 教頭・・・服部純蔵(上士25名)、長沢金剛(上士25名) 医師・・・渡辺玄敬、上野養真、原田三順、秋田柳伯、松宮良貞、木村玄予、進藤周而、古川卓造、桃井周庵、村上周徳 輜重方・・・林静蔵、田中郷吉 +松山藩隊(総人数155名)※松山隊参照 以上の約800〜1000名の精鋭で鶴岡を出立した。 |
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<戦歴> |
7/4・・・出陣式の後出発。 7/14・・・新庄の戦い 7/25・・・主寝坂の戦い 7/28-29・・・赤倉・中村越・役内平野の戦い 8/5・・・湯沢の戦い 8/8・・・十文字(皆瀬川)の戦い 8/11・・・横手の戦い 8/23・・・花館・大曲の戦い 8/26-29・・・角館の戦い 9/11・・・食当たりで松平甚三郎以下本体の多数が腹痛と下痢に襲われる。 9/15-16・・・峰吉川・境・刈和野・上淀川の戦い 9/17・・・峰吉川を出立し、刈和野・神宮寺・楯合・矢島・市神経由で帰路につく。 9/22・・・酒田着、城よりの命で日光舛田以北、舛田以南の間道を守る。 |
*参考文献*
「七星旗の征くところ-庄内藩戊辰の役-」坂本守正著
「戊辰庄内戦争録」和田東蔵
「戊辰東北戦争」坂本守正著
「秋田・庄内戊辰戦争」郡義武著