■第二大隊■

第二大隊< 編成>
大隊長・・・酒井吉之丞(玄蕃)
軍監兼参謀・・・神戸善十郎
参謀・・・本多安之助
小隊長(半隊長)
 1・小隊長・・・上田伝十郎(下士45名)、半隊長・・・小竹簡介
 2・小隊長・・・酒井冶郎右衛門(300石/
下士46名)、半隊長・・・中村順治
 3・小隊長・・・服部正蔵(300石/下士50名)、半隊長・・・大島武助※
 4・小隊長・・・竹内右膳(上士27名)
 5・小隊長・・・相良総右衛門(200石/下士40名)、半隊長・・・本間伊十郎
 6・小隊長・・・高橋金蔵(上士25名)
 7
小隊長・・・水野郷右衛門(250石/下士40名)、半隊長・・・松平角之助
 8
小隊長・・・寺内権蔵(250石/下士41名)、半隊長・・・後藤平次郎

附従隊長・・・柳田運吉/江口四兵衛(250石/卒31名)
大砲分隊長・・・矢島逸策(70石/徒士27名)、神田六右衛門(手廻十五石三人扶持神田作之助子弟か?5人扶持?)
土工兵長・・・岩瀬清治(土工兵12名)
往来使・・・芳賀九郎衛門
諸隊往来使・・・安部平三郎、山口鑑五郎、都筑百之助、松平廉八郎、石沢龍治、北爪季八郎、本多健之助
旌旗使・・・吉井助之助
楽隊長・・・地主常松(士11名)
探索方・・・小花鈔兵衛(120石)、相良十兵衛、酒井泉、宮田周蔵、松平平馬、
       林昇之助、玉井権之丞、戸田惣十郎、酒井右馬之助
医師・・・菅原遠斎、佐川文岱、武田道策、武田休泉、佐川玄岱、富樫周意、
     金内元安、藤田貞哉、岩佐貞策、安野順適
兵糧方・・・中村坂右衛門(平田代官100石)/阿部良助(倉庫掛70石)

 以上の約500名の精鋭で鶴岡を出立した。

 ※服部正蔵、大島武助⇒二人の戦死の際の酒井玄蕃の心情が「戊辰ノ乱 北征二十絶」に記されている。

*

<破軍七星旗>

 戊辰戦争では、西洋式の銃火器での戦いが中心になったとはいえ、旗指物だけは戦国時代そのままで、大半は藩主や大将の家紋をあしらったものや隊名を記しただけのものであった。
 しかし、第二大隊酒井玄蕃の大隊長旗は酒井玄蕃のオリジナルで、金・紅・碧・白と色彩鮮やかであった。

酒井玄蕃手書きの「北斗旗由来記」によると、
  「普通の書き方とは上下を逆にし、第七星を一番上とする。この星は北極星の位置を指示する重要な星で、「破軍星」ともいはれる。
   このように逆鉾立ちにかくのは、我が軍の勇武が破邪顕正・怨敵退散の威をふるふ、いはば天帝の霊威を象徴させる為だ」という。
中国ではこれを「霊旗」と称したというから、その故智にならったのであろう。

 縦2m弱、横1.5m強の大きさで、この旗を4、5mの長竿につけ、竿持ちの他に綱で四方から引いて進んだ。


 この旗は「鬼玄蕃」の名と共に、敵軍に恐れられ、敵は遠くからこの旗を見ただけで「鬼玄蕃が来た」と恐れ逃げ出し、第二大隊は百戦不敗、いよいよ玄蕃麾下の兵は勇み進軍したのである。

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<戦歴>
7/6・・・第二大隊が出陣式の後、藤島経由清川へ向け出発。
7/13・・・舟形の戦い
7/14・・・新庄の戦い
7/28-29・・・院内の戦い
8/5・・・湯沢の戦い
8/8・・・十文字(皆瀬川)の戦い
8/11・・・横手の戦い
8/13・・・角間川の戦い
8/18-22・・・神宮寺岳の戦い
8/23・・・花館の戦い、花館夜襲
9/8・・・雄物川渡河戦
9/10-11・・・刈和野の戦い
9/15-16・・・刈和野奪還戦(刈和野守備の一関勢が西軍に刈和野を奪われた為の奪還戦)
9/17・・・刈和野を出立、帰路につく。
9/22・・・鶴岡着

 

*参考文献*
「七星旗の征くところ-庄内藩戊辰の役-」坂本守正著
「戊辰庄内戦争録」和田東蔵
「戊辰東北戦争」坂本守正著
「秋田・庄内戊辰戦争」郡義武著