・・・出生
 文政12(1829)年〜明治3(1870)年6月29日没。
 彦四郎、友太夫、重道、重遠。

 庄内藩士物頭久留多門の四男として生まれ、嘉永4(1851)年4月、先代石原友右衛門の養子に入る。
・・・戊辰戦争以前〜戊辰戦争
 文久3(1863)年、新徴組人選係、慶応元(1865)年6月、家督を継いで120石、新徴組取扱役を命じられる。

 戊辰戦争が起こると監軍となり出陣し、同年7月酒田町奉行も転ずる。
・・・戊辰戦争後

 維新後は米津禎吉郎(旧長瀞藩公子で、のち酒井忠発の養子になり忠利と名乗り海軍少将となる)の御付役を務めた。

 東京で明治3(1870)年6月29日死去。享年42歳。 芝清光寺に葬られる。 

 陸軍中将石原莞爾の祖父。

参考書籍:
『庄内人名辞典』 庄内人名辞典刊行会
『七星旗の征くところ』 坂本守正