・・・出生
 文政8(1825)4.23〜明治27(1894)4.23
 庄内藩士石川幹の第3子として生まれ、同族石川仁兵衛(長寛)の養子に入る。養家は代々新九流兵法の武術師範を務め、猪太夫も藩の師範役となり、剣の達人と称された。
・・・戊辰戦争以前〜戊辰戦争
 安政5(1858)年家督を継いで250石。翌6年物頭となる。
 慶応3(1867)年丁卯大獄の折には選ばれて大目付に任じられ、藩政改革派として捕縛された赤沢隼之助の取調べに当たった。

 翌4年戊辰戦争に出陣、松平甚三郎率いる一番大隊に属して小隊長となり、50人の足軽を指揮して秋田にて勇戦した。

・・・戊辰戦争後

 明治3(1870)年隠居。明治27(1894)年、70歳で没して鶴岡本鏡寺に葬られる。
 画家として有名な石川静正(淡遷)、石川正庸(淡水)兄弟の父。





 

参考書籍:
『庄内人名辞典』 庄内人名辞典刊行会
『七星旗の征くところ』 坂本守正