・・・出生
 嘉永2(1849)年〜大正元(1912)年9月10日 64歳。

 庄内藩士酒井了明長女。兄に戊辰戦争で活躍した酒井玄蕃了恒、庄内柿の祖酒井調良、弟に書家黒崎研堂がいる。
・・・戊辰戦争以前〜戊辰戦争
 白井重垂に嫁す。
・・・戊辰戦争後

 明治3(1870)年22歳の時に夫と死別し、後に朝晹学校が設立されると選ばれて裁縫教師となる。包容力ある開明思想の持ち主として知られ、婦人運動を興してこれを指導。明治21(1888)年11月藤生貞、今田政代、伊藤美代野、秋野よしらと鶴岡に庄内婦人会を結成する。代表幹事に就任。のち会長に推されて婦徳向上と社会事業の為に活躍した。この間、明治30(1897)年鶴岡高等女学校の開設とともに教員に迎えられたが、かたわら同37(1904)年には工女夜学会を設けて講師となり、同39(1906)年5月には庄内婦人会立鶴岡幼稚園の設立に尽力した。

 大正元(1912)年9月10日に64歳で没。 鶴岡総穏寺に埋葬。

参考書籍:
『庄内人名辞典』庄内人名辞典刊行会
『秋田・庄内戊辰戦争』新人物往来社
『酒井玄蕃の明治』坂本守正著・荘内人物史研究会
『冬青』坂本守正著・冬青社