| -辞世の句- |
| ・帰りこん時ぞと母の待ちしころ はかなきたより聞くべかりけり |
▼神保 修理(じんぼ しゅり)▼
神保内蔵助利孝の長男。弟に「七年史」を著した北原雅長がいる。妻は井上丘隅の娘、雪子。
軍事奉行添役。日新館の秀才であり、長崎に学び、外国事情にも通じていた。
1862年会津藩が京都守護職を拝命すると、上洛して国事に奔走。
鳥羽伏見の戦いで、幕軍が苦戦し、錦旗が薩長に翻ったことを知ると慶喜に抗戦することの非を解き、東帰恭順することを進言したという。
慶喜等の東帰は修理の進言に寄るものだとする意見が藩士の中に広まり、過激派の中には修理を斬るべしとする声もあがり、修理は江戸三田下屋敷にて切腹。その自刃の際に読んだ辞世の句。
享年29歳。墓は東京都港区白金の興禅寺。 |
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