会津藩校日新館

⇒会津藩校日新館への交通

磐梯河東ICより車で約5分
会津若松駅よりバス約30分(高塚団地停留所下車徒歩10分)
広田駅よりタクシー約5分/徒歩約20分

開館時間9時〜16時(12月〜3月休館)
入場料大人850円 中高生550円
     (武家屋敷とのセットで大人1390円 中高生850円)

福島県河沼郡河東町大字高塚山

<会津藩校日新館>

 

 

十六橋

⇒十六橋への交通

拝観自由/入場料無料

福島県会津若松市湊町大字赤井

<十六橋>

 

 

戸ノ口原

 
<戊辰戦争戦没者の墓群>

 この戸の口原では8月22日〜23日早朝にかけて激戦が行われ、白虎隊士中二番隊が西軍を迎え撃った場所でもある。

 一番奥に見えるのが「戊辰戦没者之墓」(合同墓145名を祀る)右奥から「小沢新十郎之墓(44歳/敢死隊差図役)」「戦死拾六人墓」「戦死廿人墓」「戦死四人墓」「戦死一人墓」「小池繁治郎功成之墓(46歳/遊撃隊寄合組頭)」
「安藤物集馬霊(44歳/遊撃隊寄合小池隊組頭)」「鈴木三郎戦死之墓(23歳/朱雀一番小森隊)」「村松吉敏墓」である。

拝観自由/拝観無料

 
<白虎隊奮戦の地>

拝観自由/拝観無料

 <戊辰戦役滝沢峠戸ノ口原両軍殉難者九十八士供養塔>

拝観自由/拝観無料

 

 

土津神社

 会津藩祖保科正之が祭られた土津神社。保科正之の霊号「土津神君」より命名されている。場所は正之の遺言「、「自分の没後は神道で、磐椅神社の神地に葬ってもらい、磐椅神社の末社になりたい」という言葉により猪苗代の地に建てられている。 延宝3年(1675年)8月19日に完成。
 完成した社殿は「東北の日光」と呼ばれるほど豪華絢爛で立派なものであったが、戊辰戦争の際に焼失。今の社殿は明治13年に再建されたものである。

拝観自由/拝観無料

 
 社殿脇から長い参道を登りきった一番奥にある奥の院。

拝観自由/拝観無料

  会津初代藩主 保科正之公の履歴を刻んだ石碑。
 碑文は山崎闇斎が選文し、字数は1943、筆者は当時第1等の能筆家土佐左兵衛高庸である。
 神社の碑石としては日本最大のもので石柱の高さ1丈8尺、幅6尺、厚さ5尺余、土台の亀石は長さ1丈6尺、幅1丈1尺3寸、厚さ2尺5寸で、竿石は八田野(河東町)、亀石は猪苗代町土町の東から取り出した。

拝観自由/拝観無料

⇒土津神社への交通

拝観自由/入場料無料
JR磐越西線猪苗代駅から車10分

福島県耶麻郡猪苗代町字見祢山

 

 

亀ヶ城跡

 
 <亀ヶ城跡>
 芦名氏の時代には猪苗代氏が治めていたものの、伊達政宗の進軍により湖南横沢に撤退。江戸時代の一国一城令にも破壊されず、会津藩唯一の出城として城代が置かれた。
 戊辰戦争の際、新政府軍の侵攻により、城代高橋権太輔は城に火をかけ撤退した。戊辰戦争で落城するまで六百数十年間、石垣ひとつ崩れなかったといわれています。

拝観自由/拝観無料

 

 

伊夜日子神社

⇒伊夜日子神社への交通
JR猪苗代駅より徒歩10分
磐越自動車道猪苗代ICより車で3分。
拝観自由/入場料無料

福島県猪苗代町千代田打越

猪苗代のバイパスR115を母成方面へ向い、左にデニーズが見えたら、その脇の細い路地を入ると小さな社が見える。

この打越の集落は、旧会津藩士で北海道開拓を成し遂げた丹羽五郎の曽祖父丹羽能教が寛政二年に私財を投じて開拓して藩に祭田として献じた土地で、この打越と富永の集落を合わせた土地は、古くより「南土田(みなみはにた)」と呼ばれている。
 打越は「新潟県西蒲原郡中ノ口村打越」の住民が移住した為、故村の「打越」の名称が付けられた。
 そして、五郎が北海道に丹羽村を造る際にも、先発隊としてこの打越の村からかなりの数の農民が移住している。
 
 <彰徳碑>
 伊代日子神社境内、本堂脇にある碑で、この打越を造った丹羽能教を顕彰する碑で、碑文には丹羽五郎の名もみる事が出来ます。
 
 <開村二百年記念碑>
 同じ境内にある「開村二百年記念碑」で、文字は松平保定様。
 寛政二年(1790)に丹羽能教によって、打越の村が開村してから、二百年の記念に平成元年7月に建立されたものである。

 

 

稲荷神社(富永)

⇒稲荷神社への交通
JR猪苗代駅より徒歩10分
磐越自動車道猪苗代ICより車で3分。
拝観自由/入場料無料福島県猪苗代町千代田富永乙猪苗代駅前ロータリーを出て右へ直進し、公民館を右折、線路を潜った先を左折し道沿いに進むと左側に小さな社が見える。

福島県耶麻郡猪苗代町千代田富永乙

 ここ富永も、打越と同じく丹羽能教が拓いた集落で、「新潟県西蒲原郡吉田町富永」の住人が移住した為、故村の「富永」という名称となったものである。この富永からも、多くの農民が五郎の北海道開拓の際、北海道に移住している。
 
 <彰徳碑>
 伊代日子神社境内にある彰徳碑と殆ど同じもの。文字の間隔などの関係で、文章に多少のずれなどがありますが、基本的に碑文も同じもの。
 
 <富永集落>
 稲荷神社境内から見た富永の集落。
 
 <打越集落>
 稲荷神社の境内から見た打越の集落。
 伊夜日子神社への目印にしたデニーズの看板までが肉眼でみる事が出来、二つの村の近さを感じました。