<柴五郎墓>
明治に陸軍大将として活躍した柴五郎の菩提寺「恵倫寺」で、小田山にある。
恵倫寺の墓域をドンドン登って、小田山ハイキングコースに出て右に歩くと、コースの右に柴家墓所の案内が出てくるので、それに従うと柴家の墓域にたどり着く。鬱蒼とした茂みの一角にあり、明るい時間に虫除けスプレー持参で行くことをオススメする☆
柴五郎は、戊辰戦争の折若干8歳で、長男太一郎は軍事奉行として越後へ、次男謙介は山川大蔵の麾下として栃木方面へ、三男五三郎は佐川官兵衛麾下として越後方面へ出兵しており、四男茂四郎は白虎隊に編入せられるも病気にて家で養生していたが、母は無理やり起し出陣させ、五郎を叔母に託し面川に退避させ、一家の婦女子は8/23の西軍城下侵入の際自刃して果てる。
面川沢の別荘にて開城を聞き、のち東京に俘虜として収容された後の明治3年6月に兄太一郎と共に斗南へ移り辛苦の生活を送り、明治5年6月東京へ留学。
山川家にて居候し、明治6年陸軍幼年学校に入学、明治33年には北京駐在武官として義和団事件に巻き込まれ、北京籠城し2ヶ月にも及ぶ籠城戦を凌ぎきり、各国からの賞賛を浴び、大正8年に陸軍大将に進み昭和20年87歳没。
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