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<おけいの墓>
戊辰戦争で敗戦後、軍事顧問であったスネルの提案で会津藩士のアメリカ移民が行われ、明治2年5月1日37名が横浜からアメリカに向かい、この時当時17歳であったおけいがスネルの子守り娘として同行していた。 移民団はカルフォルニアのゴールドヒルに入植し、若松コロニーと名づけ、稲や茶の栽培を始めるも失敗、人々は四散、おけいは近くのビーア・カンプ家に引取られ家族同様に可愛がられ働いていたが、熱病にかかり明治4年に19歳で亡くなった。 それから15年、おけいを哀れんだ移民の生き残りの人々が若松コロニー跡におけいの墓を建てた。
昭和32年にゴールドヒルと同型の墓が背炙山中腹に建てられた。 この一帯は、昔ケーブルの駅があった場所で、廃止された後の現在も綺麗な公園として整備されている。 |
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