角館武家屋敷

⇒角館武家屋敷への交通
秋田道大曲ICよりR105経由、盛岡方面へ30分

秋田県仙北郡角館町

 ここ角館には、総督府の会議所が置かれ、仙北郡方面の拠点となった場所。8/28庄内軍は国見で亘理大吉、瀬上主膳、伊達弾正、伊達安芸等仙台兵と合流、仙台兵が先鋒を乞うので、先鋒を任せ攻撃するが、新政府軍の守備も堅固で、一旦同盟軍は背後から攻撃するはずの盛岡藩兵が、生保内で秋田兵と交戦、敗退し撤退していた為、挟撃ならず、翌日からも庄内藩第一大隊は角館を攻撃するも、新政府軍の守備は益々強固で突破出来ず、ついに3日目角館攻略を断念した。
 <松本家>
 角館武家屋敷の古民家の一つで、どこかで見たことありません??あの「たそがれ清兵衛」の余吾善右衛門と対決する屋敷として使用された場所です。ちょっと表門で立ち止まって清兵衛気分に浸ってみるのも良いかもですvv
 ちなみに同じ武家屋敷の一つで「岩橋家」朋江(宮沢りえ)の実家として撮影に使用されています。

 

常光院

⇒常光院への交通
秋田道大曲ICよりR105経由、盛岡方面へ30分

秋田県仙北郡角館町西勝楽町25
地図

 佐竹北家の菩提所。
 案内板によると、慶応4年、ここ角館には総督府の会議所が置かれ、仙北郡方面の拠点となった。この方面の戦闘には九州の大村藩や平戸藩が来援、その際の戦死者がここ常光院に埋葬されている。
 大村藩7名、平戸藩7名、長州・薩摩藩各1名ずつの計16柱。しかし、大村藩士については後に故郷に改葬されたので、現在は9柱。
 正面の碑は大村藩士で15歳にして父に代わって鼓手として参戦し戦死した浜田
謹吾少年の顕彰碑。

 

左「少年鼓手之碑」、右「戊辰之役大村藩戦没者慰霊塔」

 

 

神明社

⇒神明社への交通
JR角館駅→徒歩15分

秋田県角館町岩瀬字岩瀬149-2
地図

 天照皇大神を祭る鎮守で、境内脇から伸びる坂の上には大村藩士で15歳にして父親の変わりに鼓手として参戦し戦死した浜田謹吾少年の像が建立されている。