<仙台涌谷藩士供養塔>
慶応4年8月14日、二番大隊が六郷で宿陣していた際、後続行軍していた仙台藩隊長が先陣を希望し、二番大隊が先陣を譲り、八小隊を先鋒として出陣し、庄内軍石川猪太夫隊、石原藤助隊、服部小隼人隊の順に続いて出陣する。
しかし、六郷駅を出たところで、新政府軍に不意を打たれて銃撃され、仙台兵は応戦もせず敗走。 仕方なく、後陣の石原藤助隊、石川猪太夫隊が奮戦、新政府軍を敗走させる。
この戦いで、庄内軍は負傷4名のみ。仙台涌谷隊7名戦死。
新政府軍は秋田藩戦死2名、振遠隊は負傷2名のみ。
この供養塔には、涌谷藩士3名、
●米谷周蔵 ●門間菊三郎●野田清三郎の3名。
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