-------野辺地-------

野辺地戦争戦死者の墓

 

⇒野辺地戦争戦死者の墓への交通
JR野辺地駅よりバス「野辺地営業所行」で終点下車徒歩2分
見学自由
青森県上北郡野辺地町字鳥井平36
 こちらは案内板が出ているのでわかりやすいです。
 野辺地戦争は新政府軍側の弘前藩と同盟軍の盛岡・八戸藩との戦闘で、はっきり云えば「無駄な戦い」といわざる得ない戦いで、盛岡藩は9月24日には降伏25日には降伏書を提出している。その前々日の23日に既に盛岡藩は降伏の意を示しているのにもかかわらず、弘前藩が盛岡藩領内の野辺地を攻撃、応戦した盛岡藩によって、弘前藩は27名の戦死者を出して敗走。
 この戦いはだいぶ前に新政府軍が命じたものであったが、あまりにも遅すぎ、戦局的にも無意味であった。また新政府軍も盛岡藩降伏表明後の事であった為「私闘」とみなし恩賞や懲罰の対象にはならなかったという。そこから考えると、この27名の戦死者は藩の犠牲になったに過ぎないといわざるを得ない。





-----青森-----

正覚寺

 

⇒釜伏山への交通
JR青森駅より徒歩15分程度
見学自由

青森県青森市本町 1-1-12
 かなり近代的な建物である。
 この正覚寺境内において、大正6年9月23日「戊辰五十年慰霊祭」が青森県会津人会の主催によって催された。この祭りは明治13年から毎年9月に正覚寺で催され、その際法壇の正面には「会津藩士自刃師及戊辰之役至西南之役 忠死之人名」と標題された「堕涙幀」という掛け軸か掲げられており、戊辰戦争で殉難戦死を遂げた藩士等2790名の氏名が書き連ねられており(更に戦後の反政府運動などで亡くなった藩士なども追録している)、供養の為奉納の慣わしとされているという。また、旧会津藩士西郷頼母の実弟で、雲井龍雄事件に連座し獄死した山田陽次郎もこの地に葬られたというが、現在は墓地を敷地内に持たない寺となっていて、三内霊園に墓地は改葬されているという。
 
 
 <戊辰殉難会津藩士五十年祭記念碑>
 本堂左脇に狭い路地があり、その入り口付近にある「戊辰殉難会津藩士五十年祭記念碑」
大正6年9月23日「戊辰五十年慰霊祭」が青森県会津人会の主催によって催された祭りを記念して建てられた記念碑である。






官修墓地(三内霊園内)

 

⇒三内霊園の交通
新青森駅よりバス「三内霊園入口」下車。
見学自由

青森市大字三内字沢部353番地
 霊園管理所近くの花屋が並ぶ場所があり、その斜め向かいに植え込みで囲われた一帯があり、ここは戊辰戦争で戦死した西軍の墓地で、永い間正覚寺、蓮心寺、蓮華寺で管理されていたものの、昭和21年官修墓地制度が廃止となり、各市町村の管理となっていたが、青森市内の寺院の移転等に伴い、昭和23年にこの地に改葬したもの。
 長州藩、徳山藩、水戸藩、福山藩などの名前が見る事が出来る。

 尚、三内霊園には旧会津藩士で雲井龍雄事件に連座した山田陽次郎の墓もあるというが…三内霊園は青山霊園や谷中霊園のような感じで、広すぎてあても無しには見つけ切れませんでした…いつかリベンジしたいです…。