慈雲寺

 

⇒慈雲寺への交通
京成本線大神宮下駅より徒歩9分
JR総武線東船橋駅より徒歩11分
境内自由

千葉県船橋市宮本6丁目25-7地図

 曹洞宗の寺。
 この寺には撒兵隊士の
綿貫元吉の墓がある。
 
 <撒兵隊士 綿貫元吉墓>
 敵の銃弾を受けて戦死した撒兵隊士綿貫元吉の墓で、無縁塔の右端にある。この墓は明治2年10月に江戸の亀井清兵衛という人が建立。
 閏4月3日没。

 


了源寺

 

⇒了源寺への交通
京成本線大神宮下駅より徒歩7分
京成本線船橋競馬場駅より徒歩10分
JR総武線東船橋駅より徒歩12分
境内自由

千葉県船橋市宮本7丁目7‐1地図

 浄土真宗本願寺派の寺で、享保年間には幕府によって、この了源寺脇に大砲試射小屋が建てられ、谷津・藤崎方面に大砲の試射を行った。試射場廃止後の場所に鐘楼堂が建てられ時の鐘として活躍したが、明治4年廃止された。

 戊辰戦争の際には、撒兵隊菅野鋭亮元資の首がここ了源寺門前に放置されていたので、住職がこれを憐れみ、鐘楼横に埋葬して供養したという。
 
 <撒兵隊菅野鋭亮元資墓>
 釣鐘堂に昇る石段脇にある。
 慶応
4年閏4月4日没の、撒兵隊の菅野鋭亮元資(28)の墓。
 戊辰戦争の際にここ船橋・市川で撒兵隊と新政府軍との間で戦いが行われ、その戦いは船橋・市川戦争と言われている。
 撒兵隊は、旧幕臣の江原鋳三郎(素六)が率いた隊で、
 八幡方面での勝利に引き揚げていた撒兵隊は、海神で新政府軍の挟み撃ちにあい潰走。その後は執拗な残党狩りが行われたという。

 

 

参考
「市川・船橋戦争展」関連資料/市川博物館友の会 歴史部会
「戊辰役戦史」/大山柏