飯野陣屋跡(飯野神社・三条塚)

⇒飯野陣屋跡(飯野神社)への交通

拝観自由/入場料無料

千葉県富津市下飯野883他(地図

 会津藩祖保科正之の養家で、幕末の頃には会津藩の支藩となっていた藩で、照姫の生家でもある。
 そして、戊辰後会津藩の戦争責任を取った萱野権兵衛が自刃したのも、やはり飯野藩江戸下屋敷であったという。
 
 <飯野陣屋壕跡>
 徳川家康に仕えた保科弾正忠正貞の飯野陣屋跡を巡る濠跡で、三条塚古墳に築城されていて、ちょうど本丸の辺りに飯野神社が建立されている。

 

 

浄信寺

⇒浄信寺への交通

拝観自由/拝観無料

千葉県富津市青木887

 二代飯野藩主であった保科正景の墓がある事で知られるこの寺には、正景の墓の他に、戊辰戦争で20名の藩士が脱藩し会津で戦った責任を負って自刃した家老樋口盛秀の碑と、脱藩者の代表として切腹した野間銀次郎の碑がある。
 どうやら、樋口と野間の墓、そして会津藩主松平容保の義理姉照姫の生母の墓もあったらしいのですが、今回は見逃しましたΣ(|||▽||| )
 
 <保科正景墓>
 保科正則の曾孫のうち(正統は会津保科家)正貞が初代飯野藩主となる。正景はその長男で二代藩主となる。
 ここ飯野に墓があるのは、この二代正景のみで、正景以外の藩主の墓は東京にあります。
 
 <保科家盡忠士野間銀次郎君碑>
 飯野藩は、請西藩の協力要請にしたがって20人の藩士を参加させた、箱館戦争に参加した後、脱藩者20名の代表として責任をとって、野間銀次郎が切腹を遂げた。若干26歳であった。なお、飯野藩は会津藩と親戚関係にあり、剣術師範森要蔵をはじめ28人の藩士が脱藩して、会津藩に向かい、その多くが会津で亡くなっている。森要蔵とその子の墓は白河郊外にある。
 
 <樋口盛秀之碑>
 樋口盛秀は飯野藩の家老で、藩主上洛中であった為、藩政は樋口盛秀に任せられていた。遊撃隊・請西藩の要請により20名を脱藩させ遊撃隊に参加させた。そして、その責任を負って自刃した人物。

 

 

正珊寺(しょうさんじ)

⇒正珊寺への交通
 国道16号線を富津公園に向かいながら、右にシェル石油が見えたら信号を左折し、直進、すぐに左に「正珊禅寺⇒」という案内板があるので、そこを右折し更に直進すると正珊禅寺が見えてきます。
拝観自由/見学無料

千葉県富津市西川1348(地図

 酷く解りづらいのですが、敷地に入ると敷地は広く、本堂前は芝?苔?が青々していて素敵な寺でした。
 ここには、会津藩士の房総警備の際の陣没者の墓が何基か纏められてあります。
 
 <会津藩士墓>
 境内脇にある墓域の一番奥、小笠原氏の墓域より更に奥の外れに、房総警備の際の会津藩士の陣没者の墓が大き目のものが13基、他損壊した小さな墓石が纏められて建立しています。たぶん無縁仏となっているであろうに、きちんと整備されていて印象深かったです。

 

左「会津伊波重定妻墓」、右「太田為保 同七之助墓」
此の外にも、会津藩士の墓が並んでいます。『會津』の文字見えますか??

 

 

長秀寺

⇒長秀寺への交通
 再度16号に戻って更に直進し、R465への左折を過ぎ、愛宕神社・東福寺を過ぎて直ぐの交差点を左折、直ぐの道を左折するとある。
拝観自由/見学無料

千葉県富津市富津169-1(地図

 
 <会津藩士墓>
 本堂脇にある無縁仏の一番手前に一基会津藩士の墓があるのが解りましたが、会津藩士の墓は全部で十基あるようなのですが、無縁仏に纏められてしまったのか、他はわかりませんでした。
 この墓石には「(嘉永七年)會津家臣主水頭安楽源助妻」とあります。

 

 

松翁院無量光寺(十夜寺)

⇒松翁院無量光寺(十夜寺)への交通
 R127沿いを
拝観自由/見学無料

千葉県富津市竹岡349

 国道127号線から直ぐの処にあるお寺で、房総警備の際の会津藩の陣没者が埋葬されているお寺。また、現在の建物は、会津藩江戸藩邸下屋敷を移築したものであるという。(現在昭和五十年に一部が改造され新しくなっている)『江戸湾警備と会津藩』によると、慶応4年2月、鳥羽伏見で破れた後、江戸引揚に際し、藩邸を薩長の手に渡したくないとして、浜の下屋敷ならば薩長の目に留まらずに海を利用して竹岡に輸送出来る。当時の払い下げの価格は金七十両であったという。
 
 <会津藩士墓>
 本堂左側の墓域の寺域入口手前、本堂から墓域を見て左奥に纏められている会津藩陣没者の墓。弘化四年二月老中阿部正弘より房総警備の命令を賜り、嘉永六年十月まで房総警備を行った際に無くなった藩士や藩士家族の墓である。

 

左「會藩士関脇重教妻墓」、右「會藩之士諱藤左衛門 光嶽院知勇俊山居士」
此の外にも、会津藩士の墓が並んでいます。『會藩士』の文字見えます??

 

 

延命寺

⇒延命寺への交通

拝観自由/見学無料

千葉県富津市竹岡472

 城山にある寺で、ここにも会津藩の陣没者の墓があります。
 
 <会津藩士墓>
 本堂右側の十二天神社に向かう道の入口直ぐの木陰に三基ならんで建っています。『堀丁蔵重道墓』『堀重遠妻墓』『柏谷忠勝墓』の三基。(堀さんのは夫婦の墓になるのかな?)

 

『會津臣』の文字見えます??
『會津臣 穴澤源八父』とあります。

 

 

竹岡陣屋跡(竹岡小学校)

 

 <竹岡陣屋跡>
 会津藩が陣屋としていた処で、現在は竹岡小学校の敷地となっています。会津藩の陣屋には、驚くほどの干鰊と梅干の貯蔵があったという。現在は碑などは何もないですが、今でも小字は「陣屋」というそうです。
 この陣屋の広さは本陣が縦五間(9.85m)横十一間半(22.7m)、総茅葺、畳百畳であったという。

千葉県富津市竹岡1000

 

房総湾

 

 <房総湾>
 城山裾の海岸線からみた房総湾。
 会津藩士達が大砲を据え、外敵の侵入を阻む為警備した房総湾風景。弘化四年六月房総常詰陣将代として、丹羽宗因(起四郎)を任命、嘉永元年四月には丹羽宗因に代えて一瀬隆鎮を房総常詰陣将代としている。

 

 

漁師料理 かなや

 

 <地魚づけ丼 ¥1260->
 新鮮な地魚の料理が沢山vv私は写真の漬け丼を食べたのですが、美味しかったデス〜vv他にも、新鮮な刺身の舟盛が付く「かなや定食¥1620-」や焼き魚系・煮魚系も色々な種類が揃っています。
 また、房総湾を一望しながら食事が楽しめるお店です☆

 千葉県富津市金谷字九真525-17 公式HPここ