東昌寺

 

⇒東昌寺への交通
京成線鬼越駅より徒歩6分
京成線八幡駅より徒歩7分
都営線元八幡駅A6出口より徒歩9分
境内自由

千葉県市川市八幡1丁目3‐23地図

 天正年間太誉和尚の創建した寺で、寛永元年に現在地に移したもの。墓地内には戊辰戦争にて、八幡で戦死した新政府軍兵の墓がある。
 <岡山藩士 花房喜太夫、信正卯平墓>
 新政府軍側の岡山藩士花房喜太夫と信正卯平の墓。
 閏4月3日払曉、中山方面から八幡方面に向かって撒兵隊第一大隊が攻撃前進を開始、新政府軍は岡山二小隊と砲隊に、来合せた津藩の斥候隊を加えて八幡にて陣地につき応戦。しかし齟齬があり、岡山・津藩士は各藩の応援を得られず、撒兵隊等の攻撃を受け市川を退却。その後岡山藩・津藩の来援があったが撒兵隊が午後二時頃には勝利に満足して引揚げた為戦闘が大方終了した。 これは明治19年に千葉県が建立したもので、「官其殉国ノ志ヲ哀」んで建てたとされ、新政府軍を正当化する手段とされたと思われる。
 
 <津藩士 菅ワ三郎墓>
 新政府軍側の津藩士 菅ワ三郎墓。
 この日の戦いで、岡山兵は戦死3名・負傷4名、津兵は戦死1名・負傷6名、佐土原兵は戦死4名・負傷9名、福岡兵は戦死4名・負傷9名、薩兵は死傷無しで、新政府軍は合計戦死12名、負傷28名を出している。

 これの墓も明治19年に千葉県が建立したもの。

 

参考
「市川・船橋戦争展」関連資料/市川博物館友の会 歴史部会
「戊辰役戦史」/大山柏