行基寺

⇒行基寺への交通
鉄道:近鉄養老線駒野駅からタクシーで10分
車:東名阪高速道路大垣ICより258号線を桑名方面へ30分程南濃ドライブイン向かいの山道から約5分。

拝観時間:
通年 9:00〜16:30 
入場料:無料(庭園拝観は400円)

岐阜県海津市南濃町上野河戸
 大仏建立の勧進のために諸国を行脚していた行基が聖武天皇の勅願をもって奈良の東大寺(大仏)建立と同時期に当山を開山、建立したと伝えられている寺で、現在の本堂は天保3年に再建されたもの。
 境内には高須藩歴代藩主の墓所があります。

 

 <高須藩歴代藩主廟所>
 初代〜12代までの歴代藩主の墓所があります。本堂に向って左に石垣がありその上になるのですが、石段途中に「危ないので登らないで下さい」の立て板があるので、勝手に上るのもどうかと思われます。どうも昔は公開していたのですが、場所を尋ねた私に対する口ぶりでは「墓地を歩かれると困るんだ」を連呼していたので、過去に何かあったのでしょうか、現在は右写真の扉までしか行けません。とりあえず嫌な思いをするかもしれませんが、行かれる方はお寺の方に断ってからの方が良いかと思います。容保様や定敬等のパパ義建公の墓もあるようです。

 

 

高須城址

⇒高須城址への交通
岐阜バス「馬目西方」下車 徒歩5分
拝観自由/拝観無料
岐阜県海津市海津町高須町(高須小学校近く)
 美濃高須藩は一万五千石の藩で、尾張徳川家の分家筋で、尾張藩に継嗣が居ない場合、高須藩から相続人を出し、また高須藩の重職である家老等は尾張藩から派遣されており、高須藩は独力での藩運営が難しく、尾張藩に頼っている藩であった。 9代義和は水戸藩より養子となり高須藩主となっており、その子には後に会津藩主となる容敬がいる。また、10代義建の子は、次男には尾張藩主松平慶勝、三男には石見浜田藩主松平武成、五男には高須藩主から尾張藩主、一橋藩主となった松平義比(後の茂徳、茂栄)、七男には会津藩主松平容保、八男には桑名藩主松平定敬がいる。 戊辰戦争の際は、尾張藩と共に新政府軍に恭順、戊辰後は尾張藩よりの援助を受けられず、自ら尾張藩に合併を願い出明治3年12月滅藩となった。 
 高須小学校近くに上の写真のポケットパークがあり、そこに写真左の「高須城と城下町」という説明版が建てられている。しかし高須藩は「城」はなく、実際には陣屋のみであった。