円覚寺

⇒円覚寺への交通
JR北鎌倉駅下車すぐ
拝観時間/8:00〜17:00(11〜3月は16:00まで)
拝観料/200円

神奈川県鎌倉市山ノ内409

臨済宗円覚寺派総本山。鎌倉五山第二位の寺格をもつ。山号を端鹿山といい、開基は鎌倉幕府第8代執権北条時宗。開山は宋の無学祖元。
境内には、開基である北条時宗の墓などもある。
秋には紅葉の絶景ポイント(11月下旬〜12月上旬頃)
山内は全域が国の史跡である

 

 <仏日庵>
 開基であり、鎌倉幕府第八代執権北条時宗の墓である仏日庵では(左写真)拝観料100円の他に500円で抹茶とお菓子を頂く事が出来ます。

 

 



 

円覚寺境内紅葉写真(H16.12.5撮影)

 

 

東慶寺

 

⇒東慶寺への交通
拝観時間/8時30分〜17時(冬期は〜16時)
拝観料/100円
神奈川県鎌倉市山ノ内1367
交通/JR北鎌倉駅下車徒歩3分
公式HP⇒http://www.tokeiji.com/pc/

 JR北鎌倉駅の円覚寺と反対側にひっそりと建つ。
 臨済宗円覚寺派。開山は北条時宗の妻覚山志道尼(安達義景娘)、開基は時宗の子、北条貞時で1285年に創建。 縁切寺として有名で、後醍醐天皇の皇女用堂尼、豊臣秀頼の娘天秀尼といった名門出身の尼僧が多く、松ケ丘御所と称されるほど格式も高かった。明治初年に寺法が廃され、1903年(明治36)に男僧寺となった。
 
また、会津藩の重臣堀主水は、藩主加藤明成と仲違いをして出奔し自らは高野山に逃走し、妻子をここ東慶寺に預けた。明成は高野山逃げた堀主水を下山させ処刑、更に東慶寺に匿われていた妻子も捕らえ処刑した。その為幕府の不興を買い、加藤家は廃絶されてる。

 

 

(左)覚山尼墓所/時宗妻 (中)天秀尼墓所/豊臣秀頼娘 (右)用堂尼墓所/後醍醐天皇皇女

 

 

(左)みつまた (右)しだれ桜 ・・・ 東慶寺内の植物(3月末)

 

浄智寺

 

⇒浄智寺への交通
JR北鎌倉駅下車徒歩8分
拝観時間/9時〜16時30分
拝観料/150円

神奈川県鎌倉市山ノ内1402

 東慶寺から線路沿いの道を真っ直ぐ鎌倉方面に向って歩くと右側にある落ち着いた閑寂な雰囲気のある寺。
 臨済宗円覚寺派の禅寺で、鎌倉五山の第四位。1281年(弘安4)、北条時宗の弟、宗政の菩提を弔う為、妻とその子師時が建立した。
 鎌倉時代には七堂伽藍を備え、塔頭も11院ほどあった。現在は関東大震災後に再建された総門や仏殿などが立つ。

 

 <鐘楼>
 
上の写真の門を潜り抜けると右のような磨り減った石段が見えてくる。この階段を登りきった上には他ではあまり見られない中国風な鐘楼がある。

 

 
 <曇華殿
 
この仏殿には、本尊の三世仏が安置されており、阿弥陀、釈迦、弥勒の三体で、それぞれ過去、現在、未来を示しているという。

 

境内裏の洞窟にある布袋尊(鎌倉七福神の一つ)。
お腹を撫でると幸せになれるらしい。

 

 

明月院

 

⇒明月院への交通
JR北鎌倉駅下車徒歩10分
拝観時間/9〜16時
拝観料/300円

神奈川県鎌倉市山ノ内189

 紫陽花寺として有名な寺。境内には約2000株ものアジサイが植えられ、6月中旬のシーズンには大勢の観光客で賑わうので(門前から行列が出来ています)ゆっくりみたい時にはこの時期は避けるのがベスト。
 寺の創建は1160年に建てられた明月庵が始まり。1256年に第五代執権北条時頼が敷地内に最明寺という隠居所を建造。その後、嫡男の時宗が禅興寺として再興した。開基は関東管領上杉憲方、開山は密室守厳。禅興寺は明治になって廃絶したが、塔頭の明月院だけが残ったもの。
 境内には昭和48年に再建された本堂や北条時頼の墓、鎌倉十井のひとつ瓶ノ井、明月院やぐらなどがある。
 美しい庭を眺めながら、500円でお茶を頂く事が出来る。

 

 

 <明月院やぐら>
 宗猷堂の左にやぐらがあり、上杉憲方の墓(供養塔とも)といわれる宝篋印塔を祀り、奥壁には釈迦如来と多宝如来とみられる像と、その両脇に十六羅漢像と思われる浮彫りがあるが摩滅が激しい。
 上杉憲方は憲顕の子で、1379年美濃の土岐頼康の叛乱を討つ為出陣、三島で在陣中鎌倉御所・足利氏満を補佐する関東管領に任ぜられ、鎌倉に帰り山内に住み山内氏を称す。
1394年10月、60才で亡くなり、法名は名月院元樹道合。
 ※やぐらとは、鎌倉時代の廟所の事。

 

 
 <北条時頼墓所>
 北条時頼といえば、室町時代の謡曲「鉢の木」(※)で有名である。 鎌倉幕府第五代執権で、時宗の父。37歳で没している。

 ※佐野源左衛門常世は鎌倉武士でありながらも、父の無実の罪により下野でひっそりと暮らす。ある大雪の夕暮れに一人の旅人が宿を求めてやって来て、常世は快く迎え入れるも、暮らしは貧しく、ついには暖を取る薪すら事欠き、ついには「梅・松・桜」の鉢の木を折り暖にくべ、「私も鎌倉武士、幕府に一大事があれば直ちに馳せ参じる覚悟」と幕府への忠誠を語る。 後日、鎌倉からの召集に駆けつけた常世を待っていたのは、あの旅人であった北条時頼で、あの時の礼と忠誠心に対し恩賞として、鉢の木「松・梅・桜」の名の付く三つの領地を与えられ六万三千石の大名として小田原城を賜ったという話。

 

 

(左)明月院TOPの写真のシーズンオフの状態
(右)明月院のアジサイ

 

三日月堂 花仙

 

⇒三日月堂 花仙への交通
JR北鎌倉駅下車徒歩15分
営業時間/9時30分〜16時30分

神奈川県鎌倉市山ノ内133-11

 建長寺のすぐ近くにある落ち着いた甘味処。
 くずきりを頼んだところ、お盆に生花が添えられ、「花は持ち帰って構いません」というお店の方のお言葉。心遣いが嬉しいだけでなく、味も見た目も抜群です。散策に疲れたら是非寄ってみてvv
 また、御土産品として、どらやきや最中の「可麻久良」なども良い。

 

くずきり/¥893-

 

 

円応寺

 

⇒円応寺への交通
JR北鎌倉駅下車徒歩15分
拝観時間/9〜16時(12〜2月は〜15時30分)
拝観料/200円

神奈川県鎌倉市山ノ内1543

 建長寺の斜め向かいにある石段を登った上にあるこじんまりした寺で、元々は材木座にあったのが元禄16年(1703)に大津波で倒壊したので現在の地に移されたという。
 本尊は、鎌倉期の名匠運慶の作品である閻魔大王像。運慶が倒れあの世で閻魔大王の前に引き出された際「汝は地獄に落ちるところだが、もし我が姿を彫刻し、その姿を見た人々が悪行を改め善縁に進むのであれば、娑婆に戻してやろう」と言われ蘇り、運慶は笑いながらその閻魔大王の姿を彫ったので、何処と無く像が笑っているように見えるため「笑い閻魔」」とも呼ばれる。

 

 

建長寺

 

⇒建長寺への交通
JR北鎌倉駅下車徒歩15分
拝観時間/8時30分〜16時30分
拝観料/300円

神奈川県鎌倉市山ノ内8

 円応寺より更に鎌倉方面に向うと、正面に建長寺の門が見える。建長寺は鎌倉五山の第一位の寺で、正式には「巨福山建長興国禅寺」という。1253年第五代執権北条時頼が宗より渡来した蘭渓道隆(大覚禅師)を開山として開基したもの。
 建長寺では大覚禅師が野菜を調理して残った皮などを捨てず、油でいためて汁を作った。これがけんちん汁の起こりで、はじめ「建長汁」と呼ばれていたのが訛って「けんちん汁」になったという謂れのある寺。

 

 
 <総門/百貫点>

 

 
 <仏殿>

 

 

唐門の左脇から伸びる道を延々進むみ、石段を登りつめる(総門から歩くだけで20分は掛かるので、時間と体力があれば行ってみよう!)と半僧坊に辿り着く。

(左)半僧坊入口石段脇で十数体の烏天狗像が出迎える。
(右)半僧坊本殿・・・この裏手から天園ハイキングコースとなる。

 

 

鶴岡八幡宮

 

⇒鶴岡八幡宮への交通
JR鎌倉駅下車徒歩10分
拝観時間/自由
拝観料/無料(宝物館)
公式HP⇒
http://www.hachimangu.or.jp/
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31

 1063年、源頼義が奥州を平定した際に京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡(現在の材木座・元八幡)に勧請し、由比若宮を建てたのが始まりという。その後1180年、源頼朝が鎌倉に本拠地を置くと同時に、この若宮を現在地に移し、1191年には本宮を造営して源氏の守護神とした。
 現在の建物は江戸時代の再建。今も鎌倉のシンボルとして賑わう。
 上の写真の中央に見える緑の屋根の建物が「舞殿」その先に本宮に通じる61段の階段がある。その脇にある大銀杏は3代将軍源実朝が、1219年1月、この木の陰にひそんでいた甥の公暁に刺殺されたという事件で知られており、秋には美しい紅葉が見ることが出来る。

 

 
 <源平池>(源氏池側)
 段葛から鶴岡八幡宮を望むと、正面に石造りの太鼓橋と赤い欄干の平橋が見え、当初は右の東池には白い蓮、左の西池に紅い蓮を植え、源平の旗色を表していたという。しかし、現在は川となっていて当時の面影は無いが、平家池には死滅を表す「四島」が、源氏池には栄える意味で「三島」があったという。
 写真右側に見えているのは、源氏池にある「旗上弁財天」
 
 <段葛>(二の鳥居より)

 

鶴岡八幡宮境内の植物(3月末)・・・桜

 

旧巨福呂坂切通し

 

 <旧巨福呂坂(こぶくろざか)切通し>
 
鶴岡八幡宮の自動車お払い所の向かい(八幡宮西側)から伸びる細い坂道を登って行くと、巨福呂坂送水管トンネルに突き当たる。その脇に鎌倉七切通しの一つで昔は藤沢・大船方面へ通じていた旧巨福呂坂切通しが延びている。現在は峠部に民家があり通り抜け出来ず廃道となっている。
 新田義貞が1192年鎌倉を攻めた時、この巨福呂坂は最後の執権北条守時が守ったが激戦の末守時は自害。この守時の自害には、妹が足利尊氏に嫁いでおり、義理弟の裏切りに対する自責の念、北条一門からの疑惑の目があったとも言われています。

 

 

一茶庵

 

⇒一茶庵への交通
JR鎌倉駅下車徒歩10分
営業時間/11時〜19時30分
定休日/木曜定休(祝日の場合は営業)

神奈川県鎌倉市雪ノ下1-8-24

 鶴岡八幡宮前にある蕎麦屋で、創業は昭和38年、かつては川端康成や小林秀雄といった文豪も足繁く通ったという名店。
 コシがあり、そば粉は8割が基本だが、その日の天候でつなぎや水の割合を変えている。柚子切りは柚子の風味がさっぱりしていてオススメ。
 お昼時はかなり混みあうので、早めに行く事をオススメします。

 

三色そば/¥1470-(右から田舎そば・茶そば・柚子切り)

 

社頭

 

 
 <社頭>
 小町通りにある和紙専門店。
 和紙そのものだけでなく、和紙を使った小物等も豊富に揃う。B5サイズやB4サイズ程度の大きさから手軽な値段で購入出来る。和紙の栞や手鏡等、鎌倉土産としても最高。

 

露西亜亭

 

 
 <露西亜亭のぴろしき>
 小町通りにある「露西亜亭」は以前は小さな飲食スペースでボルシチやピロシキ・ロシア紅茶を提供していたが、現在はテイクアウト専門店としてピロシキやロシア紅茶用のジャムを販売している。1個から購入出来、熱々・サクサクを食べ歩きする事が出来る。ぴろしきを購入すると暖かいロシア紅茶をサービスしてくれる。行列も出来るオススメの店。

 

鎌倉山納豆

 

 
 <鎌倉山納豆>
 小町通りにある納豆専門店。専門店だけあって味は抜群。
 店頭では納豆を使用した菓子「鎌倉ごまおこし」や梅味・七味味のドライ納豆などもオススメ。今流行りの黒豆納豆も市販のモノに比べ大粒で豆の味がしっかりして美味しい。
公式HP⇒
http://www.nattoyasan.com/

 

宝戒寺

 

⇒宝戒寺への交通
JR鎌倉駅下車徒歩15分
拝観時間/8時〜16時30分
拝観料/100円

神奈川県鎌倉市小町3-5-22

 鎌倉随一の萩の寺として有名。
 北条義時以来、北条氏の執権屋敷があったところで、北条氏滅亡後、その冥福を祈り後醍醐天皇が足利尊氏に命じて1335年に建立した天台宗の寺。

 

 
 <北条執権邸旧蹟碑>
 この宝戒寺は、北条義時以来北条氏の執権屋敷があったところである。
 この屋敷で、北条高時(相模入道)が朝晩ともなく田楽法師を迎えたり、宴を催したりしたのも此の屋敷である。屋敷は鎌倉幕府滅亡(1333年)の際に灰燼に帰した。

 

宝戒寺で買えるお守り

 

土佐坊昌俊邸址

 

 
 <土佐坊昌俊邸址>
 
宝戒寺の前の道を材木座方面へ左折してすぐ右側に写真の碑が住宅街にひっそりと建っています。
 土佐坊昌俊は元々は源義朝に仕え、義朝が没すると武蔵渋谷に帰住し出家し、のち頼朝に仕える。平家滅亡後、頼朝と義経の仲が険悪になると、頼朝は密かに土佐坊昌俊を京に送り暗殺しようと企み、義経を討とうとするも失敗し捕らえられ六条河原で斬られたのである。

 

 

東勝寺跡

 

 
 <東勝寺跡>
 宝戒寺前の小町大路を下り、途中「東勝寺跡・腹切りやぐら」の案内に従い左折、住宅地の坂道を上り詰めた山間にある史跡。
 東勝寺は北条泰時が退耕行勇を開山として創建した北条氏の菩提寺だったが、1333年の新田義貞の鎌倉攻めの際、北条高時をはじめ一族がこの寺に立て籠もり火を放ち、自刃した場所。
 いわば鎌倉幕府終焉の歴史的な場所といえるが、現在は石碑が立つのみとなっている。石碑の先の山腹には、高時腹切りやぐらとよばれる大きなやぐらがあり、五輪塔や卒塔婆が立つ。

 

 

腹切りやぐら

 

⇒腹切りやぐらへの交通
JR鎌倉駅下車徒歩20分
拝観時間/自由
拝観料/無料
神奈川県鎌倉市小町3-11

 東勝寺跡から更に山道を進むと突き当たりにあるやぐら。
 卒塔婆塔が生々しく立てられ、やぐらの中心に五輪塔が建つ。
 1333年の新田義貞の鎌倉攻めの際、北条高時をはじめ一族がこの寺に立て籠もり火を放ち、高時側近長崎次郎高重は23本の矢を身に受け馳せ戻り自ら腸を抉り出し死での旅の先達を務め、遅れじと一門が次々腹を切り、高時もついに腹を切った。それを見た郎党どもも腹をかき切って炎の中に飛び込む者有り、父子刺し違える者有りで、総勢八百七十余人がその場で自刃した場所。

 昼間に行っても結構不気味な所なので、夜行くのは止めた方が良いでしょうo( ̄ー ̄;)ゞ

 

 

日蓮上人辻説法跡

 

 
 <日蓮上人辻説法跡>
 小町大路に面した一角に「日蓮大士辻説法霊跡」と書かれた石碑と「日蓮腰掛石」と呼ばれる石が並ぶ。
 鎌倉時代、この辺りは屋敷町と商家町が重なる場所で、1253年安房の清澄寺から鎌倉に移り住んだ日蓮はこの辻に立ち、道行く民衆に法華経の教えを説いたという。
交通/JR鎌倉駅徒歩6分
神奈川県鎌倉市小町2-22

 

 

若宮大路幕府跡

 

 
 <若宮大路幕府旧蹟碑>
鎌倉幕府は始め大蔵にあったが、嘉禄元年(1225)北条政子が亡くなると共に北条泰時は幕府を宇津宮辻に遷し、後11年後の嘉禎2年(1236)に再びこの地に遷した。(4代将軍九条頼経が疱瘡を病んだことが移転の理由とも伝えられ、若宮大路幕府が宇都宮辻幕府の北側という説や、同一敷地であって、門を若宮大路側にしたという説などがある。)それ以来98年頼経以後、元弘3年新田義貞が鎌倉に乱入し鎌倉幕府が滅びるまで、此の地に幕府が置かれた。
交通/JR鎌倉駅徒歩10分
神奈川県鎌倉市雪ノ下一丁目11

 

本覚寺

 

⇒本覚寺への交通
JR鎌倉駅下車徒歩5分
拝観時間/自由
拝観料/無料

神奈川県鎌倉市小町1-12-12

 鎌倉時代ここには幕府の守護神を祀っていた天台宗の夷堂があった。この夷堂に配流地の佐渡から鎌倉へ戻った日蓮が滞在していたという。この夷堂跡を日出が1436年に日蓮宗に改め創建したもの。二世日朝の時、身延山から日蓮の遺骨を文骨して納めた事から東身延と称して栄えた。夷堂は1333年の新田義貞の鎌倉攻めの際に焼失した。

 また、寺の門前には鎌倉十橋の一つ夷堂橋があり、夷堂があった事からその名がついた。

 

 本覚寺で買えるお守り(握り福)⇒
・・・【愛・健・財・学・福】の5文字がそれぞれ1つずつ書かれていて、自分のお願い事が書いてあるお人形を握ると願いが叶うそうです。

 

 

妙本寺(比企一族ゆかりの寺)

 

⇒妙本寺への交通
JR鎌倉駅下車徒歩10分
拝観時間/自由
拝観料/無料

神奈川県鎌倉市大町1-15-1

 比企ケ谷の山腹にある日蓮宗の寺。
 一帯は比企能員一族が屋敷を構えていたところで、1203年、能員の娘若狭局が二代将軍源頼家の妻となり、嫡男一幡が生まれた為、比企一族の勢力が強まるのを恐れた北条時政により、一幡と共に比企一族は滅ぼされてしまったが、京都にいて難を逃れた能員の末子能本が一族を弔うため1260年に創建した。
 広大な境内には苔むした比企一族の墓、幼い命を絶たれた一幡の袖塚などがあり、秋には紅葉が美しい。

 

 
 <一幡袖塚>
 
 <比企能員一族墓>