源頼朝墓

 

 <源頼朝墓>
 1199年、頼朝は落馬が原因で53歳で死去したといわれる。遺体は勝長寿院に葬られたが、その後現在の墓の石段下にあった法華堂に移された。 法華堂は頼朝の持仏堂であり、後に1247年6月、謀反を企んだ咎で北条時頼により攻められ、三浦泰村一族500名は法華堂に立て籠もり自害を図ったところ。明治維新後に現在の姿である「白旗神社」になった。
交通/JR鎌倉駅
より大塔宮行きバスで5分岐れ道下車、徒歩5分。鎌倉八幡宮から徒歩78分、JR鎌倉駅徒歩25分
神奈川県鎌倉市西御門2-6

 

大塔宮(鎌倉宮)

 

⇒鎌倉宮(大塔宮)への交通
JR鎌倉駅より京浜急行バス大塔宮行きで8分、終点下車、徒歩すぐ
拝観時間/9時30分〜16時30分
拝観料/境内無料(宝物殿と土牢見学300円)

神奈川県鎌倉市二階堂154

 後醍醐天皇の第一皇子・大塔宮護良親王を祭神として、1869年明治天皇により創建された神社。
 鎌倉幕府が倒れ、親王は建武中興で征夷大将軍となるが、足利尊氏と対立し、この地に幽閉され、北条高時の遺児時行が鎌倉へ攻め入った中先代の乱の際、足利氏が鎌倉を脱出する際に、尊氏の弟「足利直義」によって殺害された。
 広い境内には親王が幽閉されていたという土牢などが残っており、秋には美しい紅葉をみる事が出来る。

 

 <大塔宮幽閉の土牢>
 拝殿左脇にある入り口より入ると入って直ぐ左手に小さな社が有り、一つは幽閉された親王の世話をした南御方を祀った「南方社」、もう一つは身代わりで戦死した村上義光を祀った「村上社」で、更にその奥に石段があり、上りきったところに「御土牢」が有ります。
 説明版によると『
建武元年11月より約9ヶ月間ここに御幽居し給ふ、御歳28歳。深さ約4メートル、広さ8畳敷き』との事。

 

 

左「大塔宮首塚」、 右「境内の紅葉」

 

瑞泉寺

 

⇒瑞泉寺への交通
JR鎌倉駅より京浜急行バス大塔宮行きで8分、終点下車徒歩12分
拝観時間/9時〜16時30分
拝観料/100円

神奈川県鎌倉市二階堂710

 鎌倉宮の東、鎌倉随一の花の寺として名高い。
 1327年の創建で、開山は夢窓国師(疎石)。後に足利基氏が中興、以来足利氏4代の菩提所となった。本堂の裏手には、夢窓国師の作といわれる岩肌の斜面を巧みに取り入れた池泉式庭園がある。

 

 
 <吉田松陰先生留跡>
 瑞泉寺の入口に入る左手前にある碑。これは、吉田松陰が四度も此の寺を訪れたことを記念して昭和4年に立てられたもの。徳富蘇峰の書である。幕末、瑞泉寺の住職をしていた竹院上人が松陰の伯父であった関係で、松陰は此の寺を訪ねた。安政元年、アメリカ船への密航に失敗し野山獄に投獄された際に、獄中瑞泉寺を偲んで一編の詩を作っている。

 『遥かに瑞泉寺の上人を憶ふ』
 山光竹色窗に入りて青く 方丈幽深錦屏に倚る
 今我れ囚に為りて空しく昔を憶ひ 月中一夜雲扁扄を叩く 
 長程始めて返還し獄に投ぜられ 咫尺家山攀ず可からず
 半夜幽魂雲月を伴ひ 天台峰下老禅の関

 

瑞泉寺境内の紅葉

 

 

貝吹地蔵(天園ハイキングコース/獅子舞)

 

 <貝吹地蔵>
 
瑞泉寺脇より天園ハイキングコースを登ると途中で右写真の地蔵に出会う。
 この地蔵は、1333年の鎌倉幕府滅亡の際、新田義貞の軍勢が鎌倉へ攻め入った際、高時の首を守りながら敗走する北条氏家臣等を援ける為、貝を吹き鳴らし退路を教えたという謂れのあるお地蔵様。

 

天園ハイキングコース
この険しい道を、北条氏家臣達は敗走した。

 

(左)天園よりの眺め。
(右)獅子舞(紅葉ヶ谷)
天園ハイキングコースの「天園」から鎌倉宮口への道を下るとある紅葉の名所

 

永福寺跡

 

 <永福寺跡>
 
獅子舞を下り鎌倉宮へ向う途中に野原がある。ここは奥州藤原氏を滅ぼした頼朝が、中尊寺の二階大堂大長寿院の向こうを張って建てたもので、やはり二階建ての大堂であったが、今は廃寺となり二階堂という地名を残しているに過ぎない。頼朝は瑞泉寺よりに永安寺という大寺を建立してるが、それも永福寺同様、幻の寺となってしまっている。
 ここは秋(11月下旬〜12月上旬)になると、右の写真のように美しい一面のすすき野原となる。

 

杉本寺

 

⇒杉本寺への交通
JR鎌倉駅より京浜急行バス「金沢八景駅・鎌倉霊園正面前太刀洗・ハイランド循環」行きで7分、「杉本観音」下車すぐ
拝観時間/8時〜16時30分
拝観料/200円

神奈川県鎌倉市二階堂903

 734年に光明皇后の発願で創建されたという鎌倉最古の天台宗の寺。坂東三十三観音霊場の第一番礼所となっている。
 奉納された幟が両側にずらりと立ち並ぶ石段を上がると、茅葺きの仁王門があり、その先には磨り減った石段が続き、その上に本堂があるが、磨り減った苔むした石段は保存の為通れず、脇の石段を使用する。
 この観音は火難の際、自分で大杉の根本まで避難したといわれ、杉本観音と親しまれている。

 

 
 <杉本寺本堂>
 本堂内陣には三体の十一面観音菩薩像が安置されているが、それぞれ行基・慈覚大師・恵心僧都の作と伝えられていて国の重要文化財とされている。

 この寺のある山は、かつて三浦氏の支城(杉本城)があった場所で、足利尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻した時、奥州の北畠顕家は天皇の召しに応じ1337年鎌倉に乱入した北畠軍は杉本城に籠って必死に防戦する斯波家長を打ち破り自刃させた。本堂右手にある無数の五輪塔は、この折の討死した人々の供養の為と言われている。

 

報国寺

 

⇒報国寺への交通
JR鎌倉駅より京浜急行バス「金沢八景駅・鎌倉霊園正面前太刀洗・ハイランド循環」行きで8分、「浄明寺」下車徒歩3分
拝観時間/9時〜16時
拝観料/境内自由(竹の庭入園200円)

神奈川県鎌倉市浄明寺2-7-4

 竹寺として有名。
 1334年足利尊氏の祖父・家時が、天岸慧広を開山として創建したと伝えられ、寺号は家時の報国寺殿義恩という法号から。かつては足利、上杉両氏の菩提寺として栄え、裏山には足利一族の墓といわれるやぐらがある。将軍足利義教に敵対した鎌倉公方足利持氏とその子義久は永享の乱で破れ、義久はここ報国寺で自害させられた。

 

 
 <足利氏墓>
 
報国寺の裏山にある大きな右のやぐらは足利氏の墓と伝えられるもの。