来迎寺 |
⇒来迎寺への交通 JR鎌倉駅よりバス「九品寺循環」行き「五所神社」下車徒歩5分 拝観時間/境内自由 拝観料/無料 神奈川県鎌倉市材木座2-9-19 五所神社前の道を左折すると右手に来迎寺がある。ここは源頼朝が三浦大輔義明・多々良四郎義春親子の菩提を弔う為に1194年に建てた真言宗の能蔵寺があったが、開山の音阿上人が時宗に改宗した為、来迎寺に改めたという。 |
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九品寺 |
⇒九品寺への交通 JR鎌倉駅より京浜急行バス「小坪経由新逗子駅行き」または「九品寺循環」で8分、「九品寺」下車すぐ 拝観時間/9時〜16時 拝観料/無し 神奈川県鎌倉市材木座5-13-14 1333年の鎌倉攻めの際の北条方の戦死者を弔うため、1336年に新田義貞が創建した浄土宗の寺(開山は風航順西)。 |
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補陀洛寺 |
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※【文覚上人】 俗名を遠藤盛遠といい、元は北面の武者。18歳の時、源渡の妻の袈裟御前に想いを寄せ、源渡を殺そうとした際に誤って袈裟御前を斬り殺してしまい、その事を深く悔いて出家。 治承の頃高雄山にのぼり、荒廃した神護寺の再興を志し、 後白河上皇の離宮を騒がしたため伊豆国に流されたが、この地で源頼朝と接触し、頼朝に挙兵を促し助力する。平家滅亡後には平維盛の嫡男六代の助命をする。(六代は文覚が流罪さるのと前後して庇護を失い捕らえられ処刑される)のち頼朝の援助で神護寺を復興。 また、東寺を修理。頼朝没後、源通親の謀議に加わり佐渡国に流され、のち対馬に流された。 |