小出町

⇒諏訪神社への交通
JR上越線小出駅より徒歩5分。
境内自由/拝観無料

新潟県北魚沼郡小出町四日町

 諏訪神社は町野源之助らが武運長久を願った場所で、境内に平成8年に町制施行百年を記念して「会津藩烈士之碑」が建てられた。
 町野源之助(主水)は会津藩士で、慶應四年小出島郡奉行として赴任。小出島の戦いでは山内大学等と共に奮戦するも撤退する。
 
 会津藩烈士之碑
 
平成8年に町制施行百年を記念して諏訪神社境内に建立されたもので、松平保定氏の書。
 4/26に六日町が衝鋒隊を破られ、27日佐梨川で井深宅右衛門隊と西軍で銃撃戦が行われるが、横槍を受けて崩れ、市中での白兵戦が行われるが、町野源之助・山内大学等は白兵戦に破れ六十里越えから叶津へ撤退した。

 

小出島陣屋跡

⇒小出島陣屋跡への交通
JR上越線小出駅より徒歩。
境内自由/拝観無料

新潟県魚沼市(旧北魚沼郡小出町)諏訪町1丁目

 会津藩は魚沼を越後口の要として総督一ノ瀬要人らの部隊が派遣され、小千谷陣屋(会津藩預所)と小出島陣屋に主力が置かれた。
  魚沼郡での戦闘は三国峠に始まる。小規模な戦いであったが小出島・小千谷陣屋から越後口に兵を派遣した会津軍らは、沼田から三国峠に進軍した東山道先鋒総督府の軍に敗れ小出島に撤退した。

 現在陣屋跡は住宅街の中にあり、案内等も無く解りづらい場所となっております。駅から進んで国道352号線(本町通り)の北越銀行の所を左折し、直ぐの通りを再度左折した場所にひっそりとたたずんでいます。

 
この小出島の戦いで負傷した望月武四郎は、民家に匿われたが、西軍の残党狩りによって民家に累の及ぶのを恐れた望月は辞世の句を残して自刃しました。その辞世の句が「筒音に鳴く音やすめしほととぎす 会津に告げよ武士(もののふ)の死を」右の写真がその句碑です。
 碑の裏面には、松代藩隊長蟻川賢之助が贈った返歌が刻まれている。「〜小出島の戦ひにみまかりし敵ながらやさしきもののふの心根を弔ひて〜『ほととぎす魚野川辺の夏嵐 永久に伝へよ波騒の声』」
 
 この小出島の戦いで戦死した会津藩士の名前が刻まれた墓碑。

 

 

正円寺

⇒正円寺への交通
JR上越線小出駅より徒歩5分。
境内自由/拝観無料

新潟県魚沼市(旧北魚沼郡小出町)稲荷町

 会津藩小出島陣屋跡からほど近い場所にある「正円寺」。ここには会津藩戦死者埋葬に尽力した大龍和尚の碑がある。
 また、境内には宝暦時代の地検「土山藤右衛門」の墓もある。
 
 <大龍和尚碑>
 文政三年五月二十日、高橋治良右衛門の三男として生まれ、文政十年に林泉庵で得度、その後
西福寺住職として幕末の名匠石川雲蝶を招聘し、大作を完成させた。
 また、正円寺院居として戊辰戦争の小出島の戦いでの会津藩戦死者を埋葬し、戒名を与え墓碑を立てた。それらの功績を讃え石碑が建立されたもの。

 

 

大塚墓地

 

 北越銀行の交差点を左折し、陣屋跡へは再度左折しましたが、左折せず直進し突き当たりを右折し、坂を上っていった町立図書館近くに大塚墓地があり、墓域奥に「戊辰戦死者墓」がある。
 戊辰戦争の際、後難を恐れた村人が放置していた会津藩戦死者の遺体を大龍和尚が小出島字立之内の共同火葬場の一角に埋葬。昭和4年にこの大塚墓地内に戊辰戦死者墓を新たに建立した際に和尚の建てた墓碑も隣に移された。

新潟県北魚沼郡小出町大塚新田
拝観自由/拝観無料