勢至堂峠

 

⇒勢至堂峠への交通
東北自動車道白河ICよりR294を若松方面へ1時間程度。

福島県郡山市湖南町(地図

 会津の約16ある峠のうちの一つ、勢至堂峠。
 白河藩領と会津藩領の藩境で、これより西が会津藩領となる為、現在旧旧道には上記写真の藩境碑が建立されていた。この碑は長らく所在不明になっていたが、湖南町史談会々員が1995年山中で発見しここに運んだものである。
 戊辰の際に、一番会津藩が警戒したのが、この勢至堂峠と、日光街道に至る山王峠で、勢至堂峠には最初西郷頼母、西郷が罷免された後は内藤介右衛門の隊約一千名が守備していたが、西軍城下侵攻籠城戦突入の報によって、全兵撤退し城下へ向った。
 
 <勢至堂トンネル>
 現在の勢至堂峠はトンネルとなっており、1994年11月完成したもので、それまでは旧国道294号が使用されていたが、このトンネルが完成した事で、旧R294も現在封鎖され、そのうち廃道となるのだろう…。
 ちなみに、藩境碑があるのは、この旧国道294号ではなく、更に旧旧道の方である。

 

左上「旧旧道入口」(白河側からトンネルを抜けた先の右側にあり)
右上「旧旧道の現状」(…道なき道??)
左下「茶屋跡」(藩境碑までの中間地点辺り)
右下「塹壕跡」(上杉景勝が徳川家康の侵攻に備えて築いたもの)

 

 

御霊櫃峠

⇒御霊櫃峠への交通
東北自動車道白河ICよりR294を若松方面へ2時間程度。

福島県郡山市湖南町(地図

 御霊櫃峠は標高876mで、地名の由来は、前九年の役で源義家の東征に従った鎌倉権五郎景政が、近くの賊徒を平定し、御霊の宮を造営し、鎮護を祈ったが、災害が相ついだため、山中の霊石に神霊をうつして五穀豊穣を祈願したことに始まり、里人らが、その石を御霊櫃と呼びならわしたことから名付けられたと言われる。
 
 <会津軍塹壕跡>
 会津藩は約16ある峠の重点を勢至堂峠・御霊櫃峠・中山口などに置き、ここ御霊櫃峠には鈴木一郎右衛門青龍一番足軽隊を置いて守備、慶応4年3月25日仙台藩はここ御霊櫃峠に伊達筑前の受持とし、伊達筑前、使者を送り、会津藩武井柯亭等は「現在仙台藩の斡旋により恭順嘆願中」である旨を伝え、閏4月2日には白石の本営よりも進軍中止の命が出るも、世良の強固な命令により進軍、杉田兵庫率いる青龍足軽一番隊と交戦、館・横沢にいた遊撃隊遠山伊右衛門は一小隊を率いて来援するが、支えきれず敗走する。

 

 


福良御本陣跡

⇒福良御本陣跡への交通

郡山市湖南町福良字荒町

「郡山市消防団 湖南第2分隊第1班」の後ろ、右奥の民家の裏に小さな碑と石の祠が建っています。

こんな脇道の先、奥に小さく碑が見えてるのって解ります??

 

 

御用場跡

 

 
 <福良御用場跡>
 戊辰戦争の際、新選組の宿舎となっていた場所で、残念な事に、2003年に台風で被害を受け、そのまま取り壊されてしまったそうです。
 御用場跡は本陣跡のすぐ近くにあります

 

 

隠岐津島神社

 

<隠岐津島神社> 

 境内は自然林におおわれ、山地林と湿地林のなかに数多くの湿地植物が群生しています。この広大な神域は、数百年来、斧をいれることなく、倒木も朽ちるままの状態で、小規模ながら原生林の形態を保っています。
 幕末期には、会津藩士が京都守護職の御役目祈願の為、断食祈願したという。

拝観自由/拝観無料
⇒隠岐津島神社への交通

拝観自由/入場料無料

福島県郡山市湖南町福良鎮座
郡山南ICより車で50分
JR磐越西線上戸駅から赤津行バス湖南行政センター前下車。

 

千手観音堂

⇒千手観音堂への交通
JR東北本線・新幹線郡山駅から赤津行バス地蔵山下車
境内自由

郡山市湖南町福良寺前

 千二百年前、弘法大師が諸国巡業中、この地に至り、猪苗代湖岸の山の姿が病という文字に似ており、この地の人々が寒苦に悩んでいる事から、五仏薬師を安置して祈願したところ、悪魔が退散し天から金色に光る樹が舞い降り、この霊樹に弘法大師自ら刻んで安置したのが福良千手千眼観世音菩薩立像と伝えられ、当地の無病息災、五穀豊穣の守り本尊として知られるという。

 また、この千手院は、戊辰戦争の際に、新撰組が野戦病院として使用したという場所である。