城国寺

 

⇒城国寺への交通
東北自動車道築館ICから398号線経由で40分
JR梅ヶ沢駅から車で57分
境内自由/拝観無料

宮城県栗原市花山(旧花山村)字草木沢宿34
 仙台藩家老遠藤文七郎(允信)の墓がある。
 本堂左に墓地が広がるが、その墓地と本堂の間の道を奥に進むと石段を登った上に遠藤家の墓域がある。
 墓域内には「仙台藩宿老遠藤家御廟墓碑案内」という案内板もあり解りやすい。ちなみに文七郎の墓は前列中央部に位置していて、歴代の遠藤家当主とその家族の墓がある。
 <遠藤文七郎(允信)墓>
 代々仙台藩の宿老ので、栗原郡川口村に三千石を領していた

 文久2年藩命により一時上京し、各藩の勤皇の士と交流するが、翌3年1月に佐幕論者等との政争に敗れて閉門処分となる。
 慶応4年9月、戊辰戦争が敗色濃厚となり、藩内佐幕派である但木土佐等が失脚したため、閉門を解かれ、執政に復職する。
 維新後は藩大参事となるが、のちに神職に転じ、明治4年には氷川神社宮司となり、明治24年には塩釜神社宮司などを務めた。享年64歳。






瑞満寺

 

⇒瑞満寺への交通
東北新幹線「くりこま高原駅」より車で11分
東北自動車道若柳金成ICより車で10分
境内自由/拝観無料

宮城県栗原市金成姉歯道才沢30(地図
 住所を見てもらうと解るとおり、この一帯は姉歯氏の領地であった場所で、地名でも姉歯という地名が現在でも残されている。
 境内には仙台藩士姉歯武之進の墓の他に、姉歯下館城主姉歯氏族の板碑(永和3年頃/1377年)なども残されている。
 <姉歯武之進墓>
 
境内入って直ぐ右側、本堂前に一段高く下写真のように建立されている姉歯武之進の墓所で、今年境内別の場所より改葬されたもの。
 姉歯武之進は、大松沢の藩士、大河内頼存の弟として天保15年に生まれ、元服を終えた15歳で姉歯忠三郎の養子となる。
 戊辰戦争が始まると、瀬上主膳隊の軍監兼小隊長となり、世良が奥羽鎮撫総督府の参謀としてくると、その横暴さに憤懣つのり、世良の書状に『奥羽皆敵』『弱国二藩』の文字を見て、世良を福島の妓楼に襲撃した。
 しかし、慶応4年5月1日の東北戊辰戦争最大の激戦とも言われた白河の戦いで奮戦するも戦死。享年25歳。
 
 <姉歯武之進墓全景>
 本堂前の境内入って直ぐの好立地に一段高く建立されている姉歯武之進の墓の全景で、姉歯の墓は中央3基ある内の真ん中。
左右の墓石は、姉歯と同じく慶応4年5月1日の白河攻防戦にて戦死した家臣2名のもので、左側が千葉松治(27歳)、右側が日下勇(22)の墓石である。
 また、右側の大きい黒い石板は『仙台藩軍監烈士姉歯武之進顕彰碑』で、一番左の横長の黒い石板は『仙台藩藩士姉歯武之進の略歴』で姉歯について詳細に紹介されている。