<佐藤宮内墓>
佐藤宮内は仙台藩大番頭で、一千石取りであった。諱は恒信。
会津藩と仙台藩の違いは、会津藩では藩士は城下町に集められ給与制であったのに対して、仙台藩は領内統治制で、藩士達が領土を支配して治めるので、この小斎の地の領主であった佐藤宮内は、この地では殿様となるのである。
戊辰戦争の際は、会津攻めの為当初藤田(現在の国見町)の守備につき、その後、会津藩が白河城を乗っ取る際には白河城三の丸にあったが根田に退き、須賀川に引揚げた。閏4月25日には福島を発し白河口大隊長として出陣し白河城に至り、白河口の戦いで奮戦。その後数度の奪還戦にも奮戦、棚倉の危急には会津の小森一貫斎等と棚倉に向かい奮戦。相馬藩が裏切ると、旗巻峠に出陣し奮戦した。
明治8年6月に亡くなる。享年55歳。 |
|
|