糟川寺

 

⇒糟川寺への交通
大和ICより車で20分
JR東北本線「品井沼駅」より車で36分
境内自由/拝観無料

宮城県黒川郡大郷町粕川字伝三郎26
 ちょっとお寺の場所が解りづらいです。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。
 ここには仙台藩士見国隊隊長二関源治の墓があります。
 墓石自体も見つけにくい場所にあります。↓に書いたように本堂向って右側にある観音堂の脇にある小さな墓石です。
 どうやら、この場所に案内板を立てる計画があるらしいです。そうなったらもっと解りやすくて良いと思いました。
 
 <二関源治墓>
 境内の入口にある観音堂脇に二基並んでいる墓石があり、両方とも二関家のモノで、その内左側の墓石が二関源治のもの(もう一基は子孫のモノである)

 天保7年10月7日生まれで、諱を照忠、考諱は駒治、通称を源治と云った。戊辰東北戦争が始まると猪狩兵左衛門配下の銃士として越後口に出陣して奮戦し、帰国後は「額兵隊」に入って半隊司令使を勤めた。
 戊辰戦争で仙台藩が恭順し領地半減となり、旧藩士達を養いきれないと判断した二関源治は、旧幕臣・石川欽八郎等と共に、仙台藩の二、三男、及び浪人者等に呼びかけ「見国隊」を結成し、榎本脱走艦隊に身を投じ箱館戦争に参戦、各地に転戦し遂に明治2年5月11日の箱館市街戦、大森浜にて奮戦中、被弾し倒れ、翌12日五稜郭本営分院で死亡。享年34才。
 法名は「勵光院戰譽放貫儀爭居士」

 

 

大窪城跡

 

⇒大窪城址への交通
東北本線松島駅より車25分
東北自動車道大和ICより車で25分

境内自由/拝観無料

宮城県黒川郡大郷町大松沢字論山47
 伊達家の家臣、大松沢掃部之輔の居城址。標高80mの小高い丘にあり、中世の豪壮な城構えを象徴する古城址で、本丸跡には井戸と標柱、遊具があるだけとなっています。約400本の桜が植えられており、桜の名所にもなっています。
 大松沢掃部之輔は会津攻めの際は家臣300名を率いて進軍、ついで白河口軍事総督を命じられ、その後も転戦する。戊辰後は、戦没した人々の菩提を弔うため剃髪し真観寺の住職となった人物。
 大松沢掃部之輔の墓はその真観寺にあることになっているが、どうやら大松沢家の墓(若しくは歴代住職の墓)に合葬されてしまっているようである。