天性寺

 

⇒天性寺への交通
古川ICより車で23分。
JR古川駅より車で19分。
境内自由/拝観無料

宮城県大崎市三本木坂本字館山22
 仙台藩士で、白河の戦いで戦死した坂本大炊の墓がある寺。
 
坂本大炊の墓は、墓地ではなく、境内本堂向って左脇に立派な墓が一段高く建てられていますので直ぐ解ると思います。
 坂本大炊の墓の左脇には大炊の忠臣鈴木新三郎夫婦の墓が建立されています。
 <坂本大炊墓>
 大炊、諱は隆中、小字は八郎後平右衛門。江戸の藤森弘庵の門に入り学び、また洋兵学を幕府の川股縫殿に学ぶ。
 戊辰正月三日命により京師に行き宿陣の準備を整えるが、藩主病の為上京叶わず、朝廷よりの勅命で仙台藩主伊達慶邦に対し会津征討が命じられ錦旗を授けられ、大炊は感激し、君公千載一遇のチャンスであると京を出発し、途中何かあるといけないと、錦旗を身体に巻き正月29日に仙台に到着。
 しかし藩論は佐幕論が台頭し、大炊は勤皇派の巨魁と目され命を狙われる。
 大炊は藩の方向を誤らぬよう説得を続けるが受け入れられず、閏4月白河城代兼参謀となる時に会津の降伏容れられず藩論大いに沸騰、大炊は急ぎ白河に行き世良を説得するも受け入れられず、大炊は一命をもってその名を全うせんと白河の戦いに参戦し、慶応4年5月1日決死の士67名と共に阿武隈川を渡河し進む途中銃弾が頭を貫き戦死。享年45歳。<仙台藩戊辰殉難小史>

 

 

茂林寺

 

⇒茂林寺への交通
古川ICより車で10分。
JR古川駅より車で8分。
境内自由/拝観無料

宮城県大崎市古川休塚要害西14(地図
 仙台藩士松本要人の墓があるとされる寺なのですが…良く解りませんでした(TwT。)松本姓の墓はあったのですが、諱や没年が要人と合わず…?松本要人の身代わりとなって自害した千葉源左衛門の墓や駒ヶ嶺の戦いで戦死した菊池氏の墓もあります。
 
 <千葉源左衛門墓>
 仙台藩士松本要人の家臣(家老)で、敗戦後逃亡する松本要人の身代わりとなって9月27日自害して果てた。本堂左脇にひっそりと立ち並んでいます。
 
 <菊池忠治祐尚墓>
 仙台藩士で、駒ヶ嶺の戦いにて8/20に享年28歳で戦死した人物。
 本堂左脇に上の千葉源左衛門の墓と並んで建立されています。

 

 

満徳寺

 

⇒満徳寺への交通
松島北ICより車で40分。
松山町駅より徒歩24分。
境内自由/拝観無料

宮城県大崎市松山千石松山153-3地図
 天正年間に茂庭左月良直が山形県川井に創建し、茂庭家と共に岩手県赤萩に移り慶長10(1605)年この地に移る。
 境内には戊辰戦争の際の松山隊の慰霊碑がある。
 <明治戊辰役 松山隊 戦没者百二十年慰霊塔>
 慶応4(1868)年8月20日駒ヶ嶺城の奪還作戦において茂庭三郎率いる松山勢は、鈴木直記等の隊と共に西軍を挟撃し、まさに今泉の敵を抜こうとしたが、西軍の一隊が西方の山手より来援、激戦となる。この時、他方が敗れ西軍が新地の松山勢の背後に廻り攻めた為、新地町南端の御殿岬に追い詰められ、逃げ場を失った27名が崖から海に身を投げるなどして戦死。そして小隊長鈴木市郎左衛門は、大戸浜の観音寺で自刃したのである。
松山隊戦死者、鈴木市郎左衛門、舟生右馬允、青木与兵衛、今野伊好、中山新左衛門、太田源吉、新沼常右衛門、佐藤喜久治、佐藤勘之助、高田与助、早坂喜三郎、板橋億右衛門、今野兵右衛門、矢内喜惣右衛門、今野安之丞、黒田音吉、高橋勇伍、珍田林蔵、鈴木亀吉、内海市太郎、桜井五太夫、菅原清三郎、今野大吉、今野運人、今野勘兵衛、斎藤助太夫、沼田重兵衛。
 明治23年8月20日 福島県相馬の新地の御殿岬近くににも仙台藩松山隊の碑がある。