保福寺
⇒保福寺への交通
大和ICより車で10分
西古川駅より車で40分/古川駅より車で45分
境内自由/拝観無料
宮城県黒川郡大和町吉田字一ノ坂28
この大和地区は江戸期には但木土佐の領地であった場所で、この保福寺には仙台藩士但木土佐の墓があります。
また、本堂向かって左には、但木土佐の招魂碑や戊辰の役で戦死した大和町出身者4名の招魂碑などもあります。
<但木土佐招魂碑>
但木土佐は代々仙台藩の宿老の家柄で、一千五百石を禄していた人物。藩論を救会に統一し奥羽越列藩同盟締結に尽力した。
戊辰戦争敗戦後は、戦犯首謀者として坂英力と共に捕らえられ処刑された。墓は一度港区の東禅寺に埋葬されたが、後にこの保福寺に改葬した。
<招魂碑>
戊辰戦争で戦死した大和町出身者4名の招魂碑。
・堀籠善三郎、今野忠助、小嶋寅之進、今野七十郎の4名。
<但木土佐墓>
大槻盤渓の思想影響を受けた開国主義者で、藩財政立て直しに尽力し、藩主の信頼を得て藩政を取り仕切るようになる。
坂英力や玉虫左太夫等と共に救会を主張し、七ヶ宿会談等を経て奥羽越列藩同盟締結にも尽力した人物であるが、敗戦後は戦争責任者として坂英力とともに明治2年5月19日処刑される。
辞世の句は
「雲水の 行方はいづこ むさし野を
ただ吹く風に まかせたらなん」