臥牛城(亘理城)

 

⇒臥牛城(亘理城)への交通
亘理駅より徒歩35分
亘理駅より車で5分、亘理ICより車で15分
園内自由/見学無料

宮城県亘理郡亘理町亘理字旧館
 亘理は幕末には仙台藩一門の二万四千石を禄した伊達弾正邦直の領地であったが、戊辰戦争にて敗戦した後、禄も城地も没収され、家臣は士族籍を剥奪され、藩から帰農を命じられた。
 旧臣救済の為、伊達邦直は資産を処分し資金を作り北海道への開拓を志願、石狩国の札幌・空知の支配を命じられ、現在の伊達市の元を築いたのである。
 現在は城を思わせるものは少なく、上記写真の堀であった池と、標柱、説明版程度で、本丸跡は現在亘理神社となっている。
 
 <戊辰戦争の碑>
 ここ亘理は、幕末には仙台藩一門の二万四千石を禄した伊達弾正邦直の領地で、仙台藩最南端の領地で、隣藩相馬藩が離反した為、駒ヶ嶺や相馬の戦いで奮戦するも利あらず、降伏に藩論は決し、この御館で降伏したのである。
 亘理の戦死者は33名で、明治30年、伊達弾正邦直の嗣子伊達基氏により、33名の戦死者の名前を刻み建立された碑。