海津城址

⇒海津城址への交通
電車で JR長野駅の善光寺口下車、バス停4番川中島バス「県庁経由川中島古戦場・松代」行きバス。終点松代下車。
長野電鉄松代駅下車徒歩5分

拝観時間/不明  拝観料/無し
長野県長野市松代町松代35

永禄3(1560)年、武田信玄が上杉謙信の攻撃に備え、山本勘助に命じて築城したものです。第4回川中島合戦では、武田軍はここへ集結し「きつつきの戦法」で出陣しました。初代城主は武田24将のひとり・高坂弾正。
 元和8(1622)年に真田信之が上田城から初代松代藩主として移って以来、真田氏10代が城主として続きました。

 

 <海津城址碑>

 

真田邸

⇒真田邸(真田宝物館・真田文武学校)への交通
車で 上信越自動車道長野ICより県道35号⇒国道403号
電車で JR長野駅の善光寺口下車、バス停4番川中島バス「県庁経由川中島古戦場・松代」行きバス。終点松代下車。
長野電鉄松代駅下車徒歩3分

拝観時間/9:00〜16:30(火曜休館)
拝観料/共通券大人500円、小・中学生200円
長野県長野市松代町松代4-1

 真田邸は、9代幸教の母、お貞の方の隠居所として文久4年に建てられたもので、小堀遠州の流れをくむ名園付の武家屋敷だ。
 真田文武学校は藩校として、松代藩出身である佐久間象山の意見を取り入れて建てられたもの。

 

 
<真田邸>

 庭に面した部屋は上がることが可能で、この部屋から素晴らしい庭が眺められます。

 

象山神社

 
<象山先生誕生地>
この先には、象山宅跡もあり、礎石のみが残されています。
 
<高義亭>

 象山神社の境内にある木造2階建て、寄棟の屋根を持つ建物で、長野市の指定文化財。佐久間象山が借り、書斎や客間として使用していたため、長州の高杉晋作、久坂玄瑞[くさかげんすい]、土佐藩の中岡慎太郎など幕末の志士が多く訪れた。
 邸内には久坂や高杉らの肖像画なども飾られている。

⇒象山神社への交通
車で 上信越自動車道長野ICより県道35号⇒国道403号
電車で 長野電鉄松代駅より徒歩12分

拝観時間/9:00〜17:00 拝観料/無し
長野県長野市松代竹山町1502

 松代藩出身の幕末洋学者「佐久間象山」を祀る神社。
象山が生まれてから29年間を過ごした佐久間象山宅跡、吉田松陰の密航事件に連座の後、蟄居[ちっきょ]の身となった象山が客間・書斎として使用していた高義亭[こうぎてい]、9年の蟄居の後、京に上って構えた家の茶室を移築した煙雨[えんう]亭が境内に立つ。

 

八幡原史跡公園(川中島古戦場跡)

⇒八幡原史跡公園への交通
車で 上信越自動車道長野ICから車で約3分
電車で JR長野駅の善光寺口下車、バスのりば4から松代行約20分 「川中島古戦場」下車 徒歩2分

拝観時間/無し  拝観料/無し
長野県長野県長野市小島田町八幡原史跡公園

 第4回川中島の戦いの戦場となった場所で、妻女山に陣をはっていた上杉謙信と、高坂弾正の海津城に入り睨み合いを続け、山本勘助の「きつつき戦法」を採択した武田信玄はひっそり海津城を出て、ここ八幡原に陣をはり、一部の部隊が妻女山を奇襲し、逃げてきた上杉軍を待ち構え挟み撃ちにする計画でしたが、上杉謙信に見破られ、お互い痛み分けで退却した。信玄と謙信の一騎打ちで信玄あわやのシーンで有名。

 

 
<川中島古戦場跡>

 

 

左上より「耳塚」(高坂弾正が川中島の合戦の後、敵味方無く遺体を埋葬した塚)
右上「逆槐」(ここに陣を張る際に土塁の土止めとして自生の槐を根を上にして打ち込んだものが巨木に成長したもの)
左下「川中島の合戦の際の土塁跡」右下「三太刀七太刀之跡碑」

 

 

山本勘助墓

 

 
<山本勘助墓>
 山本勘助は三河の生まれで、最初今川に仕えていましたが、のち武田信玄に仕え、後二十四将にも数えられるようになった人物。
 武田軍の軍師として活躍し、海津城の築城も手がけたと謂われるが、最近まで実在したのか不明であったが、近年史料が発見され実在する可能性が高くなった。
 第四次川中島の合戦で、きつつき戦法を提案し、上杉謙信に見破られると、単独上杉陣に斬りこみをかけ討死する。
 この墓は、昔は南方の高畑にあったものを、元文四年に松城藩家老鎌原重栄がこの地に移したもの。

 

 

善光寺

⇒善光寺への交通
電車で 長野新幹線長野駅より川中島バス善光寺行10分、善光寺前より徒歩すぐ

拝観時間/5:00〜4;30(冬期6:30〜16:00)
拝観料/諸堂参拝(お戒壇巡り、経蔵、善光寺史料館)500円
長野県長野県長野市元善町491
善光寺公式HP⇒http://www.zenkoji.jp/

 「牛に引かれて善光寺参り」で有名な信州随一の名刹は、宗派を定めないので昔から多くの人々に信仰されてきた。床下の真っ暗闇の通路を手探りで歩き、極楽浄土への錠前に触れる「お戒壇(かいだん)巡り」を体験出来る。
 また、川中島の合戦によって、この善光寺が失われるのを恐れた信玄が本尊を甲府に持ち帰り自らが開基となって建立したのが甲斐善光寺である。(現在写真の三門は平成19年迄修復作業中です)