大阪城


⇒大阪城への交通
JR大阪環状線「大阪城公園駅」下車
JR東西線「大阪城北詰駅」下車
市営地下鉄谷町線「天満橋駅」

開館時間:午前9時〜午後5時迄(年末年始休館)
入場料:大人600円
大阪市中央区大阪城1番1号
 いわずと知れた大阪城。豊臣秀吉の居城であり、その後1619年幕府直轄地となり、翌6年徳川秀忠によって再建された。しかし、3代家光以降は14代家茂が幕末に入城するまで、将軍が訪れる事はなかった。
 しかし、幕末になって一躍歴史舞台の中心となり、征長の最中家茂は大阪城にて病没。鳥羽伏見の戦いの際には、旧幕府軍の本陣となり、錦旗が出ると慶喜は夜陰に紛れて東歸、これによって旧幕府軍は江戸城を明け渡し、江戸へ引揚げたのである。
 
 <豊臣秀頼・淀君自刃の地碑>
 こちらも有名であるので、あまり説明も必要ないかと思いますが、秀吉の側室であった淀君と、秀吉の嫡男秀頼の自刃の地。
 大阪冬の陣で敗れた東軍は、講和条件で惣構・三の丸の破却に続いて強引に二の丸の堀まで埋め立てられ、本丸ばかりの裸城にされ、この事によって、翌慶長20年の大阪夏の陣によって籠城戦が取れず落城。その後二人も自刃して果てたのである。

 


八軒家船着場跡


⇒八軒家船着場跡への交通
市営地下鉄谷町線「天満橋駅」より徒歩2分。
永田屋昆布本店前。
見学時間自由/見学料金:無し

大阪府大阪市中央区天満橋京町2-10

 天満橋駅近くの「永田屋昆布本店」前にある「八軒家船着場跡碑」、この永田屋では無料で「八軒家の今昔」という冊子も配布している。
 ここは江戸時代には「八軒家」と呼ばれ、淀川を上り下りする三十石船の発着場として賑わった場所であった。地獄門で知られる遠藤盛遠が袈裟御前を見初めたのも、楠正行が敵兵を川から救いあげたのもこの地であったという。
 また、鳥羽伏見の戦いで敗れた後、負傷者を軍艦に乗せる為、この八軒家に送り、ここから


 ●隊員各銃を肩にしたる上に戸板に負傷者を臥さしめたるを掲げ八軒屋に送り出す。(会津藩大砲隊戊辰戦記より)

 ●山川大蔵隊士に傷者を護送し悉く汽船に乗せ終りて後、本願寺本営に歸るべしと命ず。是に於て傷者を板扉或は竹駕等に載せ、兵士自ら舁きて堂島の我が邸及び八軒に送る。(会津戊辰戦史より)