新発田市赤谷 会藩戦死碑

⇒会藩戦死碑(赤谷)への交通
車無しで行ける場所ではありません(==;)
磐越自動車道「三川」ICを降りて14号線を新発田方面に向かい、不動橋の手前左手高台にひっそりと碑が建っています。

見学自由/入場料無料

新潟県新発田市赤谷

ここでは8/14に会津軍(上田伝次隊・遊撃隊・力士隊・猟師隊・地方士隊・寄合白虎一番隊・朱雀足軽隊)西軍(新発田藩・薩摩藩・長州藩・芸州藩他)との間で激戦が行われた場所で、白虎隊で最初の戦死者(佐々木新六郎)が出た場所である。

この碑は赤谷戦戦死者17回忌に際して、明治17年7月に村民の手によって建立されたものである。
もとは赤谷不動堂の傍らにあったものを昭和63年に現在の場所に移動されたもの。
碑建立の趣意文には「人間的崇高な心情を持ち続け、この地に散った会津藩士の霊を弔うべく有志を募りこの碑が建立されたのである」としている。

 

角石原戦跡碑

 

 
 8/14拭暁、両軍の遭遇戦が行われ、烈しい雷雨の中戦いが行われた。
遊撃隊隊長三宅小左衛門(46歳)は壮絶な戦死を遂げ、力士隊隊長赤埴平八も戦死、白兵戦で平八の刀はのこぎりのようであったという。他にも小池瀧江も戦死するなど死傷者が続出した。

上の会藩戦死碑から更に北に上ると、中々山村でトンネルに当たる、このトンネルの手前に左高台に碑は建立されている。

見学自由/拝観無料