彦根城

 

⇒彦根城への交通
JR彦根駅より徒歩10分。
名神高速道路彦根ICより車で10分
見学時間:8:30〜17:00
拝観料:大人 600円 小中学生 200円

滋賀県彦根市金亀町1-1
 彦根城築城は、将軍徳川家康の命により佐和山城を一掃するため、慶長8年(1603)より着工され、20年の歳月をかけて築城された。
 天守は大津城より、天秤櫓は長浜城から移築した為2年弱で完成したが、表御殿、城郭改造等、城下町の完成は1622年とされている。
 幕末の藩主、井伊直弼が万延元年(1860年)に桜田門外の変で水戸藩士によって暗殺されると、その後を継いだ直憲は直弼の罪を問われ10万石を減封される。禁門の変での活躍で3万石を回復。しかし、大政奉還の後、彦根藩は譜代筆頭にもかかわらず新政府軍側に藩論を転換、鳥羽伏見の戦いでは旧幕府軍側で参加するも、すぐ新政府軍側に寝返り、賞典禄として2万石を拝領した。

 

「ひこにゃん」

 

 

 

蓮華寺

 

⇒蓮華寺への交通
彦根駅より徒歩11分
境内自由

滋賀県彦根市中央町3-64(地図
 彦根城から程近い場所にある「蓮華寺」は朝鮮通信使の宿所ともなった寺で、この寺の墓地には、郡上藩「凌霜隊」隊長「朝比奈茂吉」の墓がある。
 <朝比奈茂吉墓>
 岐阜の郡上藩は新政府軍への忠誠を示しつつ、旧幕府軍が勝利し幕府が再興したときために、江戸詰めの郡上藩青山家の藩士を密かに脱藩させ、家老の朝比奈藤兵衛の子朝比奈茂吉(
17)を隊長とする40数名は「凌霜隊」と命名され、密かに会津へ旅立せ、新政府軍へは脱藩として届けた。塩原方面より連戦、会津に入り籠城戦を戦い会津の降伏に合わせ降伏。凌霜隊隊員達は捕らえられ郡上へ送られたが、藩の命令により出兵したにも係わらず、藩は隊員達に対し罪人として扱い、処刑しようとしたが、領内の僧侶達の尽力で許されるが、その後も藩内からの冷たい目に晒され、隊員達は散り散りに藩を出た。朝比奈茂吉も父藤兵衛の実家、井伊彦根藩家老椋原家の養子となり椋原義彦となった。その為、墓石も『椋原義彦』名が刻まれている。墓は墓地入って右の通路沿いにある。