小峰城

⇒小峰城への交通
JR白河駅前徒歩5分
営業時間:10時〜15時、集古苑9時〜16時30分(入場〜16時)
休業日:集古苑月曜休、定休日が祝日の場合は翌日休、特定日
入場料:無料(集古苑310円、バラ園350円)

福島県白河市郭内1

 奥州への入口、同盟軍の最前線で戊辰戦争中最大の激戦地の中心となった白河城(小峰城)です。
 小峰城は白河城とも呼ばれ、南北朝時代の1340年に結城親朝によって築かれたのが始まりで、現在の姿は寛永4年(1627年)白河藩主となった丹羽長重によって築かれました。
 慶応4年5月から始まる白河口の戦いでは多くの死者を出し、会津藩では副総督横山主税など約死者300名以上、仙台藩でも参謀坂本大炊や軍監姉歯武之進等150名の戦死者を出しています。

 

小峰城の重櫓内部にある戊辰戦争の際の弾痕(激戦地であった稲荷山にあった杉の木を使用して復元した際に、
その杉の木材から多数発見されたもので、そのまま使用して再建されたもので、現在も弾痕をいくつもみる事が出来る)

 

 

 

鎮護神山(戊辰薩藩戦死者墓)

 

 
<戊辰薩摩藩戦死者墓>

 この墓は、三春・磐城・平胡麻沢・花見坂・長寿院に埋葬されていた戦没者を合葬した墓である。
 巨碑の台石に、各々戦死の場所、所属隊名、氏名等が詳細に記された官軍墓地で、会津若松市内の融通寺と同じである。(説明版より)

 小峰城を出て左(小峰城に向って右)の石垣沿いを歩いて右に見える小山を上った頂上。階段があるので登りやすいです。

 

女石

 

仙台藩士戊辰戦没之碑への交通
国道294号(会津街道)沿いに石柱で囲った敷地があり、そこに「戦死供養塔」と共にあります。

福島県白河市

 この地白河は奥州への入口で、同盟軍を死守し激戦が行われ、多くの死者を出しました。この碑は5/1の白河の戦いで戦死した坂本大炊ら仙台藩士150余名の慰霊碑である。
 
 <戦死供養塔>

 この碑は明治2年に地元有志によって建立されたもので、慶応4年5/1〜7/17までの市内(田町・向寺・根田・大谷地・金勝寺・飯沢・長坂においての戦死者の屍を集めて埋葬したものである。

 

 

聯芳寺

 

⇒聯芳寺への交通
国道294号(会津街道)沿いに「聯芳寺」の門柱が見えるので解り易いです。

福島県白河市

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 <福島藩十四人碑>

 この碑は明治21年に建立されたもので、
福島藩隊長 池田邦知/番頭 渋川吉十郎等14名の福島藩士戦没者が祀られている。
 以前は入口入って直ぐ左に建立されていたのですが、現在だけなのか恒久的なのか不明ながら、以前あった場所は工事中で取り壊され、寺の左側にある駐車場の敷地内の奥に、色々な石碑や墓などと一緒に建立されています。

 

 

宝積寺

 

⇒宝積寺への交通

福島県白河市

 国道4号線沿いに進むと右側に立派なお寺が見えてくる。
 
 <仙台藩士・会津藩士の墓>
 本堂前を右に墓域に入っていくと、割と解りやすい所に三基並んで建立している。(真ん中が会津藩士丹羽俊吾墓)

 

上「仙台藩士/古山孫四郎墓(享年49)」左下「会津藩士/丹羽新吾(俊吾)墓」、右下「仙台藩士/佐々木廣之助墓」

 

 

薬師堂

 

⇒薬師堂への交通

福島県白河市小田川(地図

 宝積寺より女石へ向って右側に入る道があるので入って直ぐの床屋の向かいの小高い処に(道路左側)小さなお堂があり、その前に戊辰の際の東軍戦死供養塔が建立されている。

 

 
 <戊辰戦死供養塔>
 東軍の戦死者の遺体を、住民の人々が集めて供養した塔。