この源慶寺には、明治9年10月29日に小網町にある「思案橋」という橋のたもとで起こった「思案橋事件」の断罪者である「竹村俊秀」「高津仲三郎」「井口慎次郎」の3名の墓所がある寺である。
思案橋事件は、萩の乱に呼応して永岡久茂を中心とした旧会津藩士等が千葉県庁を襲い、佐倉鎮台を説き、日光を経て会津へ大挙する計画であったが、思案橋より出発する際に見咎められ、駆けつけた警官と斬り合いとなり、永岡等4名捕縛・3名逃亡の後捕縛、1名が明治11年喜多方で自刃し、捕縛の内、永岡は獄中にて死亡。竹村等3名は明治10年2月7日処刑される。
現在、3名の墓は本堂真裏の墓地の中ほどにひっそり建立されている。また、渥美清(本名:田所康雄)のお墓があるお寺でもある。 |