源慶寺


⇒源慶寺への交通
都営新宿線新宿御苑前駅より徒歩15分(靖国通り沿い右側)
拝観境内自由/拝観料無料
東京都新宿区市ヶ谷富久町9-23
 この源慶寺には、明治9年10月29日に小網町にある「思案橋」という橋のたもとで起こった「思案橋事件」の断罪者である「竹村俊秀」「高津仲三郎」「井口慎次郎」の3名の墓所がある寺である。
 思案橋事件は、萩の乱に呼応して永岡久茂を中心とした旧会津藩士等が千葉県庁を襲い、佐倉鎮台を説き、日光を経て会津へ大挙する計画であったが、思案橋より出発する際に見咎められ、駆けつけた警官と斬り合いとなり、永岡等4名捕縛・3名逃亡の後捕縛、1名が明治11年喜多方で自刃し、捕縛の内、永岡は獄中にて死亡。竹村等3名は明治10年2月7日処刑される。

 現在、3名の墓は本堂真裏の墓地の中ほどにひっそり建立されている。また、渥美清(本名:田所康雄)のお墓があるお寺でもある。



 <思案橋事件断罪者墓所>
【左から竹村俊秀・中原成業(高津仲三郎)・井口慎次郎墓】
 高津仲三郎の墓は、変名の中原成業の名で記され、本名には「樋口忠三良」と刻まれ、綱渕謙錠先生の「苔」には、束松事件の実行犯であり、脱獄犯である事を悟られない様本名を樋口忠三良と偽名を記したのではないかとしている。

 また、竹村は山川の親友で、井口は永岡の書生であった。

 

 

 

広沢牧場跡

 

 
 旧会津藩士広沢安任が斗南で開牧に成功し、東京に出張所を開いた場所が此処西新宿1〜2丁目界隈で、広沢はここで生涯を終えている。
 当時「角筈」と呼ばれた場所で、現在では既に町名は残っていないが、大体新宿駅を中心に東西一帯のあたりで、東は三越から西は新宿中央公園の外れ、十二社近くまでと思われる一帯を昔角筈と呼んでいた。(左写真は三井住友ビル周辺)

 「維新前後の会津の人々」には明治24年2月1日東京市外淀橋角筈の牧場出張所で没した、とある。

 東京都新宿区西新宿1〜2丁目・新宿3丁目界隈。