小原沢殉難碑

⇒小原沢殉難碑への交通
東武日光線鬼怒川公園駅徒歩5分。
鬼怒川公園内。

見学自由
 慶応4年6月26日、小原沢を守る大鳥等伝習隊、草風隊を佐賀藩兵・宇都宮藩兵が攻撃、しかし逆襲にあい西軍は宇都宮藩家老長男安形靱負太郎ら7名の戦死者を出して敗走。大鳥軍は草風隊長村上求馬等3名が戦死。
 <殉難碑>
 小原沢の戦いでの両軍の戦死者の殉難碑。
小原沢激戦地案内板

 

帝釈堂

⇒帝釈堂への交通
日光宇都宮道路今市ICより日光街道経由、R119を今市方面へ2分。
更にそこから徒歩。

栃木県塩谷郡藤原町
 上記殉難碑がある公園脇にある小山に帝釈堂への階段が続き、上りきった処に帝釈堂がある。
 <塹壕跡>
 
大鳥等が地元住民を動員して築いた塹壕の跡。
 帝釈堂の脇、斜面を少し下った辺りです。

 

 

 

五十里湖

⇒五十里湖への交通
野岩鉄道川治温泉駅より東武ダイヤルバス湯西川温泉行きで8分
「五十里ダムサイト」下車

栃木県塩谷郡藤原町五十里
 江戸から五十里の距離にある為この名前が付いたという五十里湖は鬼怒川を堰き止めて作られたダム湖である。
 三日早発和田某と一同日向村を出で危坂を越え河沼にて昼食す、此時三日目にて始めて米飯を食したり、夫より河流を渡りて五十里駅に出たり、此駅は人家六七十軒もあり田島より日光への本往還なれば先ず格別の差支もなし、本陣に至りて萱野権兵衛に面会し日光表の形勢を委に談じ、何卒全軍を一度田島まで引揚げ其上にて再び出張したき旨を掛合い漸くに承知す、然らば兵隊の順次を定め宿割をなし、三依宿に越すものもあり、又当駅に止宿もあり余は此駅に泊して怪我人運送の人足兵糧支度の事を其掛の者へ命じたり。

 

 

会津藩横川関所跡

⇒会津藩横川関所跡への交通


栃木県塩谷郡藤原町横川(地図
 旧日光街道沿い、山王トンネルを過ぎてから右側にあり。
 ここには、会津藩の関所が設けられた場所で、戊辰戦争の際の8/28には、芸州藩兵と会津藩守備兵が交戦、のち会津藩兵は村を焼いて撤退し、田島へ入る。
 四日、五十里を出立横川村に至り、松井、工藤、小笠原並にスズキ蕃之助等と同宿す
 五日横川駅早発三王峠を越え糸沢の方へ出でしに峠下に一軒茶屋あり、会人、山川大蔵に行き会い此茶屋にて全軍取締の事を談じ共に田島に同行せり。
 山川子は当時会藩の若年寄なる者にて両三年前小出大和に従いオロシャに至り西洋文化の国勢を一見し来りし人にて一通文字もあり性質怜悧なれば君候の鑑裁にて此人遣わし余と全軍の事を謀らしめんが為めに送られたるなり、余一見其共に語るべきを知りたれば百事打合大に力を得たり。(南柯紀行より)

八月廿八日、芸兵ト攻戦ノ方略ヲ商議シ、三依村ヲ発ス。(中略)進テ横川ノ賊塁ヲ衝ク。賊拒クコト能ハス、其本営及ヒ民舎ヲ自焼シテ退ク。(中略)追テ糸沢村ニ至ル、日将ニ暮ントス、芸兵ト同ク宿陣ス。
(戸田忠友家譜/会津戊辰戦争日記)